ト、あるものには大音羽屋、あるものには橘屋、あるものには勉強家などの名がついたといふのも、見るからにみづ/\しい生氣を呼吸する草の一もとを頼まうとするからの戲れであつた。時には、大森の方から魚を賣りに來る男が狹い露地に荷をおろし、蕾を見せた草の根を踏み折ることなぞもあつた。そよとの風も部屋にない暑い日ざかりにも、その垣の前ばかりは坂に續く石段の方から通つて來るかすかな風を感ずる。わたしはその前を往つたり來たりして、曾て朝顏狂と言はれたほどこの花に凝つた鮫島理學士のことを思ひ出す。手長、獅子、牡丹なぞの講釋を聞かせて呉れたあの理學士の聲はまだわたしの耳にある。今度わたしはその人の愛したものを自分でもすこしばかり植ゑて見て、どの草でも花咲くさかりの時を持たないものはないことを知つた。おそらくどんな藝術家でも花の純粹を譯出することは不可能だと言つて見せたロダンのやうな人もあるが、その言葉に籠る眞實も思ひ當る。朝顏を秋草といふは、いつの頃から誰の言ひ出したことかは知らないが、梅雨あけから秋風までも味はせて呉れるこんな花もめづらしいと思ふ。わたしがこれを書いてゐるのは九月の十二日だ。新涼の秋氣は
前へ
次へ
全195ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング