フ名物でもなくなつてゐる。小松が何を食はせる店で、辨松が何の仕出しする家かも分らなくなつて行く日があるとすると、このすぐれた都會の詩人が書いたものにもかなり難解に思はれる部分が殘らう。ともあれ、『鶯日』の作者には、やゝもすると都會の人の陷り易い早呑込みがない。すべてが正味だ。作者は痰を吐く如くに句を作るべしと言つてゐて、虚心平氣ならば何の難いことがあらうかと語つて見せたといふことが、小泉氏の序の中にも見える。この鶯の好い聲はさうざらに聞かれるものとも思はれない。眞似の造り聲ではもとよりない。
[#天から4字下げ]君が手をわがふところに夜寒かな
この句なぞ知十君の生涯の中でいつ頃に出來たものか、その邊はよく知らないが、いかにも眞情がうち出してあつて好ましい。
[#ここから4字下げ]
青簾壁はまだ中塗りのまゝ
いつまでも簾の青き願かな
[#ここで字下げ終わり]
わたしは都會詩人としての知十君の特色をその夏の句に見つけることが多いと思ひ、殊に句の姿も涼しいと思ふものであるが、こゝには盡しがたい。
秋草
過日、わたしはもののはじに、ことしの夏のことを書き添へるつもりで、思は
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