驍ェ、一茶はあの中年の長い放浪生活にもかゝはらず、江戸じまぬことおびたゞしい。無器用で、正直で、狹量で、多分の野性に富んでゐて[#「富んでゐて」は底本では「當んでゐて」]、容易に他と調和しがたい一茶が田舍に置いて考へて見たい人なら、『鶯日』の作者はどこまでも東京の水で洗つて洗ひぬいたやうな人である。そこに都會の詩人らしさがある。
心が涼しければ、句もまた涼しい。その涼しさを失はずに持ちつゞけて行つたところから、『鶯日』二卷に溢れてゐるやうなあの活氣と色艶とに富んだ詩情が迸り出て來てゐる。物わかりのよさ、情のあつさなぞは、二卷のどの頁にも見出される。作者はまた、都會の人にして初めて捉へ得るやうなものを實におもしろく短い十七字の形に盛つて見せる感覺の鋭敏さを具へてゐる。これを天稟《てんぴん》と思はないわけにいかない。どうかするとわたしは作者が贈答の句なぞに突き當つて、あまりの輕さにまごつくこともある。
[#天から4字下げ]新年に一つまゐらう松の鮨
いかにも知十君の句らしい。そこには口を衝いて出るやうな才華の煥發があり、わざとらしくないユウモアもある。しかしこの松の鮨ですら、最早淺草代地
前へ
次へ
全195ページ中67ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング