があつて、その言葉の中に、
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『余知十と交ること四十年になむ/\とせり。常に以爲《おもへ》らく、古人の俳人、初めに芭蕉あり、中ごろに蕪村あり、一茶あり、後には知十ありと。敢てみづからその故をあきらめむとはせず、唯みづからこれを信じて疑はざるのみ。』
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とある。
誰が何と言はうと自分はさう信じて疑はないと言はれるやうなこの序の筆者の言葉は強い。俳人としての知十君は言つて見れば俳諧の暖簾をうけ繼いだ六代目にも七代目にも、あるひはもつと後の代にも當る人で、初代の芭蕉もしくはそこから分れて江戸座の一風を成した其角なぞが出發當時の苦勞はせずに濟んだかと思ふ。あの蕉門の諸詩人が嘗めたやうな虚栗《みなしぐり》時代のにがい彷徨は知十君にはない。そこでわたしは古い俳人のことはしばらく措いて、もつと自分等の時代に近い一茶を引合に出して見ることがおもしろくないかと思つてゐる。さうしたら知十君の特色がはつきりわたしたちの胸に纏まつて浮んで來はしないかと思つて居る。江戸に於ける十年さすらひの生活は芭蕉のやうな人にも都會人らしいところを與へたかと思はれるふしもあ
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