ノ足を踏込まれなかつた學者的な專一な風格である』とあつたのはうれしかつた。それから、同じ追懷のつゞきに、左の一節は殊にわたしの心をひいた。
『澤木君が東京帝國大學の文學部の講師をして居られた頃でなかつたかと思ふが、一春文學部の學生達に加はつて澤木君と一緒に、奈良京都の美術旅行にいつたことがあつた。その時のことである。唐招提寺金堂の千手觀音の前であの澤山の觀音の手の美的效果に就て澤木君が傍の人と論じてゐたのを記憶する。その時の議論の内容を忘れたが、澤木君の論調には西洋美術のグウを持して容易に東洋美術に許さない樣な所があつた。さうして西洋美術の本筋をそのレアリズムに認めて居られたらしく考へられた。』
 いかにも澤木君の面目がはつきりとよく出てゐる。これだ、これが澤木君だ、とわたしはさう思つた。尤も、その時の議論の内容は忘れたと安倍氏が言はれるくらゐだから、わたしには猶更よくは分らないが、澤木君の持説なるレアリズムの内容が他人のそれとどう異なつてゐたか、君はその最も深い根據をどこに置いてゐられたのか、例へばゴシック建築の内部の構造にあらはれてゐるやうな數理の觀念と美との結合が全く東洋美術には
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