クつと引籠りがちに暮されたやうで、長くもない君が生涯の終りには、かなり寂しくこの世を辭して行かれたかと想像せられるが、しかし君の亡き後になつて、こんなに舊知の人達から本當のことを言つて貰へるところを見ると、やはり君には人と違つたところがあつたと思はれる。
 わたしが澤木君を知つたのは佛蘭西の旅にある頃であつた。君はわたしよりも早く歐羅巴の方に渡つてゐて、南獨逸のミュンヘンからわたしのゐた巴里の下宿へ夏を送りに來た。そんなわけで、あの佛蘭西の旅を思ひ出し、巴里の町を思ひ出し、そこにあつた下宿を思ひ出すことが、わたしに取つては澤木君を思ひ出すことになる。ブウル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]アル・ポオル・ロワイアル、八十六番地。そこは巴里のサン・ジャックの古いごちや/\とした町と、ポオル・ロワイアルの電車通りとの交叉した角にあたる。石造と言ひたいがその實は所謂|羅甸《ラテン》區の界隈によく見かける塗屋風の建物だ。それでも七層の高さがあつて、第一階から上には二十家族を容れるほどのアパアトマンがあり、階下の歩道に接したところは粗末な珈琲店を兼ねた煙草屋、その他の店が佛蘭西風の暖簾《のれん
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