驍アとに氣がついた。萬葉の古歌に就いても同じやうなことが言はれよう。この東歌は、人も知るごとく上總《かづさ》の國の歌として、卷十四に載せてある雜歌である。わたしはこの歌を感ずることは出來ても、十分に説き明すことは出來ない。萬葉の古歌がさう完全にはわからないことは、良寛のやうな人の書き殘したものにも見える。たゞその感じ得られる部分が、この東歌にはいかにも深い。何度繰り返して見ても盡きない趣がある。

     澤木梢君のおもひで

 澤木梢君が亡くなつた後、『三田文學』では特に記念號を出して、君を記念するために多くの頁を割いた。いろ/\な方面の人達からの追悼録があつめてあつて、しかもその多くが通り一遍の美しい言葉で君の生涯を埋めてしまふやうなものでないのには感心した。その中には知己友人の持ち寄つた澤木君らしい逸話もあり、曾ては君の教へ子であつたといふ人達の率直な印象も語つてある。
 どうして、人が亡くなつた後になつて、こんな風に語られるといふ場合がさうざらにあらうとも思はれない。君の性格が性格だから、だん/\話の合ふ人もすくなくなつて行つたかと思はれるし、殊に病苦と戰ふやうになつてから、
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