w力』も、太陽が岩戸からやゝ姿をあらはしかけた時に、その手を執つて引き出すことにのみ役立つたことを語りたいのである。何と言つても、『笑』の力は大きかつた。そこから日の光もあらはれ、大地も微笑み、神も人と交つた。
 さて、雜誌『日の出』がどういふ讀物を滿載して、多くの讀者を樂しませようとするのであるか、それをわたしは、言つて見ることも出來ない。襷、鉢卷、足拍子の面白さは、當時流行のエロ、グロ、ナンセンスであつても構はない。願はくは、それがわたしたちの内にも外にも高く太陽を掲げるためのものであつて欲しい。暗い岩戸を押しひらいて、知らず識らずのうちに、大衆を高めることの出來るやうな、好い滑稽が溢れたものであつて欲しい。

     東歌

[#天から4字下げ]夏麻引《なつそび》く海上潟《うなかみがた》の沖つ渚《す》に船はとゞめむさ夜ふけにけり
 後の代のものがどの程度まで遠い過去の藝術に入つて行けるかといふことは、よくわたしに起つて來る疑問であるが、謠曲の蝉丸を喜多六平太氏方の能舞臺に見た時、原作者の説き明さうとしたものが時と共に失はれ來た後世になつても、その人の感じたものだけは長く殘つてゐ
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