ヘぎ》をそこへ運んで來て、一切の穢汚《きたな》いもの、あさましいものを拂ひきよめるために、青い布や白い布をその枝にかけて見る『淨化』の神もある。あるひは樺の皮を用ゐて占卜《うらなひ》に餘念もない『豫言』の神まである。これだけの神が揃つても、天の岩屋に隱れた太陽をどうすることも出來なかつた。最後に、そこへ面白い恰好をした女神が來た。この女神は日蔭《ひかげ》の葛《かづら》を襷にかけ、正木《まさき》の葛《かづら》の鉢卷をして、笹の葉を手に持ち、足拍子を取りながら扉の前で踊り出すといふ滑稽さであつた。のみならず、神が人間に乘り移つた時のやうな姿をして、恥かしい乳をあらはして見せ、腰から下には裳の紐をぶらさげた。それを見て笑はない神々はなかつたといふ。さすがの堅い岩屋の扉が細目に開けたのはその時であつた。『知識』でも、『力』でも、『眞』でも、『徳』でも、『淨化』でも、『豫言』でも、いかなる神の力でも開かれなかつた天の岩戸が、『笑』の女神の力によつて開かれた。
 わたしは戲れにこんな古い傳説を持ち出した譯ではない。『眞』の鏡も、太陽に向つてそれを光らせる時にのみ役立つことを語りたいのである。大きな
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