烽フがないでもない。波の上にある舵手、海岸にある燈臺守、鐵道の側にある線路番人、町にある交通巡査なぞがそれだ。これらの人達の信號や相圖を必要とするほどに、わたしたちの旅は急がしく、めまぐるしくなつて來た。わたしたちは必要に應じて、實に瞬間に物を見定めたり、判斷したり、決定したりしなければならない。
こんなにわたしたちの生活は變りつゝある。わたしたちが現にこの世の旅から學ぶものは、これを過去の人達に比べたら、何といふ大きな相違だらう。
金錢は重要な交通機關ではなからうか。わたしは金錢の本質をさう考へるやうになつた。言語もまた重要な交通機關ではなからうか。わたしは言語の本質をもさう考へるやうになつた。交通の持ち來す變革がこんなことをわたしに教へた。
町人蜂谷源十郎の覺書
いつぞや郷里の方へ歸つた折に、八幡屋といふ家に殘つた古い町人の覺書を見つけた。今の八幡屋の當主は村醫者であるが、その先祖は通り名の蜂谷源十郎で知られた地方の町人であつた。わたしが見つけた覺書は、その二代目蜂谷源十郎の殘したものである。そのことをすこしこゝに書きつけて見る。
わたしの郷里の方のこと
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