ナ言つて見ても、純百姓の家に殘つてゐる古い記録はあまり見當らない。彼等にそんな暇がなかつたためかと言へば、さうばかりとは思はれない。農閑期といふものもある。彼等に文字がなかつたためかと言へば、これまた、さうばかりとは思はれない。彼等の中には百姓總代なり組頭なりとして、隨分宿村の相談にあづかり、相應に文字を解する人はゐた筈である。こんなに百姓が書いたものを殘さないといふは、全く彼等のたづさはる仕事の性質によることであらう。多くの百姓は僅かに古い小遣帳ぐらゐを殘し、その長い苦鬪の歴史をも、土に親しんで見た多年の經驗をも、或は老後の思ひ出をも、あまり筆にはしなかつたもののやうである。
そこへ行くと、町人の中には隨分筆まめな人もある。わたしの郷里も今では全くの農村であるが、以前は東西交通の要路とも言ふべき街道筋に當つてゐたから、その驛路時代に三十歳の頃から七十二歳の晩年まで、四十年間殆んど一日も缺かさずにと言つていゝくらゐの日記を殘した町人もある。これは百姓と町人との生活の相違によることは勿論であるが、一つには彼等町人が帳場格子の前に坐り、帳面をくりひろげ、硯箱を引き寄せ、自然と筆に親しむ機
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