。と戰はなかつたものはあるまい。
業平はわたしが好きな古人の一人だ。あの和歌の高い香氣は、おのづからにしてロマンチックなものだ。朝臣はさびしい道を歩いた人かも知れないが、そのかはり後から歩いて來るものを喚び起した。もし朝臣のやうな人が後の平安朝時代の諸歌人のために新しい道を開拓して置かなかつたら、と考へて見る時に、あの古人の足跡の深さがわかる。
こゝですこし支那文學の影響といふことをも書きつけたい。平安朝時代に於けるその影響は今更言つて見るまでもないが、しかしそれがどの程度のものであつたらう。清少納言の枕の草紙なぞを見ても、いかに當時の人達が白氏文集を愛したかはよくうかゞはれるが、それが李杜王三家に及んでゐたとは、どうも思はれない。これは李杜王三家に見るごときおごそかな氣魄を掴むといふことよりも、むしろもつとものやはらかな情緒に就いた當時の人の心の傾向を語るものであらうか。あたかも古代佛教徒の男性的な鍛錬から離れて、もつと易く行ける道に就き、阿彌陀の名をとなへ、空也の念佛に餘念もなくなつたのと、その趣を同じくしてゐるとも言へるであらう。
北條氏時代に於ける蒙古人の襲來(元寇
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