jは歴史上最も注意すべき大きな出來事の一つである。あれからいろいろなものが變つて行つたであらう。あれはわが國にとつての大きな出來事であつたばかりでなく、支那全土に亙つて大きな破壞を持ち來したものであらうとも思はれる。わたしは、大痴山人とも言ひ黄鶴山樵とも言つた王蒙が蒙古人の支配の下に忍耐してあの藝術上の仕事を仕上げて行つたことを想つて見る。再び漢民族の世となつて頭を持ちあげた石濤にしても八大山人にしても皆あの王蒙の仕事を受け繼いだ人達であつたらう。一概に東洋人の藝術を消極的、隱遁的であるとして、その底に光る涙を見ない人は話せないやうな氣がする。
應仁元年に四十八歳で明に渡つた畫僧雪舟が大陸に見出したものは、その大きな破壞の過ぎた跡で、そこには江南に發達した宗教と藝術があり、遣唐使時代の昔に思ひ比べたら、全くの別天地ではなかつたらうか。
いろ/\書きつけて見たいことは多く、文藝上の近代のはじめを足利時代に置き、支那より禪僧雪舟なぞの歸來するに及んでロマンチックな一新時代の開けて來たのがその近代のはじめであるとする岡倉覺三の意見も紹介したく、徳川中期から明治年代へかけて明清あたりの先
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