ト平安朝に移ると、すべてのものが變つて行つたやうに見える。尤も、これは一朝一夕の變化ではなく、奈良朝も末になつてあの大伴家持がこの世を去つた延暦年代の頃には、すでに宮廷の事情も變り、君臣の關係も變り、寺院や僧侶の位置も變り、農兵の關係も變りつゝあつたばかりでなく、海のかなたより絶えずこの國に大きな影響を與へた大陸そのものすら變りつゝあつたやうである。さういふ中にあつて、ひとり日本の文學ばかりが舊態を保つてゐる筈もない。人の心が大陸的であつた時は過ぎて、同じ大和精神《やまとごゝろ》でもそのデリケエトな方面をあらはし來つた時がそれに替つて行つたやうに見える。

 僧最澄は唐土から歸朝して天台宗を傳へ、空海は歸朝して眞言宗を傳へた。これは新しい都の平安京に遷つた十二三年後のことであり、同時に印度及び支那方面に於ける創造的精神の變遷を語るものであるといふ。肉體を苦しめる難行苦行と、肉體的な歡びの崇拜と、その兩極端の不思議な結びつきは、密教の輸入以來のことのやうにも見える。平安朝時代の文學に、後になればなるほど多くの肉體的な歡びと迷信とをみつけることも、その由來する源は深いやうである。これはこの
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