ノあるものと楊子江の流域にあるものとの完全な統一と調和とに達したと言はるゝ唐時代であることを想ひ、その高潮に達した支那文化がこの國に及ぼした刺激と影響とを想ひ、大陸より歸來する遣唐使又は渡來する佛僧工人等の活動なぞを想ひ見ただけでも、歌人としての人麿はたしかにおもしろい時に生きてゐたと考へられる。
 ひとり唐土との直接な交通にとゞまらない。同じやうに内地の交通がひらけ、わたしの郷里に當る岐蘇《きそ》山道のひらけたのもまたあの萬葉時代であつたと考へて見ることも樂しい。當時の宮廷といひ、君臣の關係といふものも、後の平安朝時代とはよほど趣を異にしたものでなかつたらうか。天皇が群臣をしたがへて遠い山野の狩に出かけられたすゞしい光景は、萬葉集中の諸作にもうかゞふことが出來る。いかにものび/\として、こだはりのない當時の人達の氣象が思ひやられる。
[#天から4字下げ]ひむがしの野《ぬ》にかぎろひのたつ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
 この人麿の歌が生れて來てゐるのも偶然ではない。

 奈良朝の美術や宗教と萬葉集の文學との關係は、どうもまだわたしにははつきりしないところがある。飛鳥《あすか》朝時代
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