ゥらは、明治年代以來の準備期を經て、諸家の研究がこゝまで進んで來たことを語つてゐるとも言ひ得ると思ふ。一つの例を言へば、安江不空氏が在原業平の研究のごとき、伊勢物語の歌を採つて業平の人物のすべてを推斷せんとするごときは至極の危險であるとなし、朝臣《あそん》が自歌と認むべきものはごく少數であるとなし、その正調と目すべき數首の歌を擧げ示されたなぞは、たしかに有益な文字であつた。さらにまた一つの例を言へば、英文學に造詣の深い土居光知氏が比較研究の立場から平安朝の日記文學について記述された一篇のごとき、伊勢物語、土佐日記、蜻蛉日記等の文體を探つて、國文の創造とその組織にまでさかのぼつたことは、これまた有益な文字であつたと思ふ。
さういふわたしはこの講座の編輯者に約束して、自分の愛する日本文學ともいふべき題目のもとに、いさゝかの感想を寄せたいと思つてゐたが、長い創作の仕事を控へてゐる身には、思ふやうにその約束も果せない。こゝには胸に浮ぶことを順序もなくしるしつけるにとゞめる。
遠い萬葉時代の古は想像も及ばないが、奈良朝美術のさかんな頃であつた當時の社會の空氣を想ひ、海のかなたは黄河の流域
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