vふといぢらしい。
小紋といふ染模樣は、今はすたれたが、わたしの青年時代までは年若な人たちが好んで着たことを覺えてゐる。ひとり年若な人達ばかりでなく、年老いた男でも女でも昔はよくあれを着たものであるとか。小紋は鼠地を本色とするといふ。こまかい粉のやうな雪を一面に散らしたやうな意匠の染模樣は、白と鼠色との好ましい調和だ。染色が化學工業の時代に移つてから、好い鼠色を出すことの困難なため、小紋も次第に染色の世界から隱れるやうになつたと聞くが、あゝいふおもしろい意匠が往時の流行にとゞまり、もう一度歸つて來ないのは惜しい。
わたしの家には今、埼玉の冬を避けに出て來た川越明仁堂の老母がゐる。この年とつた婦人が自分の父親から聞いた話だとして、小紋の染模樣の意匠を遠く在原業平の昔にまで持つて行つて見せた。老母の口吻によると、業平はよほどの洒落者であつたと見えて、鼠地の衣裳の上に白い雪の降りかゝつたのをおもしろく思ひ、それを模樣に染めさせたのが、そも/\の小紋のはじめであると、その道の人の間にいひ傳へられて來たとか。業平小紋なるものがそれだともいふ。この話をある人にしたところ、かういふことには兎
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