。において歌舞伎の破壞者であつたこと、しかし故人のやうな性格の俳優は默阿彌にも櫻痴居士にも遂に『作者』を見出さなかつたことなぞが、それらの人達の眼によつて明かになつた。これを書きかけると、ふと思ひがけない人の詩の句が私の胸に浮んで來た。『こゝろざしといふものは果して幾人によつて憐まれるであらうか』との意味の句である。長く舞臺を踏んで多くの見物があこがれの的であつた成田屋のやうな人でも、やはり無言なこゝろざしを懷にして、見る人の見るまゝに任せながら、この世を過ぎて行つたであらうか。

        三

 人間的なものであればなんでも好ましい、といつたゲエテのやうな人もある。植物からも動物からもその材料を採つて、紡ぎ、織り、染め、そして着るわたしたちの衣服こそ、どこまでが『自然』でありどこまでが『人工』であるともいへないほど調和したものの一つであらう。かういふことは、人間の世界以外にちよつと見當らない。わたしたちは着る物によつて、實に種々さま/″\なことを感ずる。新舊の悲喜劇は着物からも起る。假令《たとへ》食ふ物をすこしぐらゐ減らしてまでも、着る方に浮身をやつすといふ人さへある。それを
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