とを言ひ、ちよつと今日使はないやうな場合にもさういふ言葉を使つたらうと思ふと言つた。その一例として、第一部第二章の牛方事件の中には年寄役金兵衞の言葉として、『隨分一札を入れさせ』とあるのをそこへ持ち出した。あゝいふ時の隨分などといふ言葉は、あれは當時流行の言葉ではなかつたかとわたしが言つて見た。すると座には宇野浩二君や室生犀星君などがあつて、隨分といふことは今でも隨分言つてをるといふ話が出た。しかしわたしの言はうとした意味は兩君の隨分とはすこし違ふ。その時、金兵衞の隨分とは屹度《きつと》の意味だと言ひ出したのは山崎斌君であり、出來るだけの意味に用ゐたのだと言ひ出したのが幸田成友君であつた。『隨分一札を入れさせ』なぞとは、いかにも面白く昔の人が使つてゐたやうに思はれ、言葉に籠る陰影には言ひ盡せないものが顯れてゐる。
後日の思ひ出に、蘭醫ケンペルのことをもこゝにすこし書きつけて置きたい。ケンペルに關したことは、わたしの稿では第二部のはじめの方に出してあるが、元祿年代に渡來したあの蘭醫こそ、長崎出島の和蘭屋敷内に歐羅巴風の植物園を開いた最初の人であるといふ。おそらく萬里の波濤を越えて持ち
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