「り、印刷所や製本屋へも自分で通ひ、自分の作品を直接に市場に送り出さうとした。私はその資金を得るに苦しんで、北海道の方にある親戚を訪ふために日露戰爭當時の空氣の中を小諸から遠く旅したこともある。私の最初の長篇は前半は小諸で書いたが、それまでの教員生活から離れてあの作を完成し得るあてもなかつた。私は書きかけの長篇の草稿を抱いて山を降りる前に、親しい友人の助力を期待して小諸から志賀の山村まで深い雪の道を踏んで行つたこともある。私の「緑蔭叢書」が世に出るやうになつたのも、あの友人の勵ましに負ふところが多かつた。
――自費出版で思ひ出す。「緑蔭叢書」は數寄屋橋の方にあつた秀英舍の工場で印刷した。一體、私は木曾のやうな田舍に生れて、少年時代に自分の着る物でも食べるものでも多くは家で手造りにしたやうなものであつたから、そんな幼少の頃からのならはしが自然と私の内に浸み込んで居て、自分で自分の本を出すといふ場合にも物を手造りにするやうな悦びを覺えた。それに私は書齋の中に引込んでばかり居るよりも、時には工場を訪ひ製本屋を訪ひして、いろ/\な職業の違つた人達の間に交ることをも樂しみに思つた。あの叢書の最
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