ナある、ロダンほど彫刻を自然の要素に於て見た者はない』と云つてある。『あくどいまでに貪婪《どんらん》なロダンはそれだけの犧牲を拂つた。彼の歩む道は簡單ではなかつたのだ。複雜を極め、また困難であつた。さうして寧ろ彼は「理想」や「原則」を主張せず、手放しで彷徨したのだ』とある。この言葉も忘れがたい。理想や原則に嚴しく自己を縛りつけてしまはないで、むしろ失敗の多かつた氾濫に身を任せたロダンのやうな彫刻家もあつたのだ。
『思想』新年號を讀む。高坂正顯氏が論文の中に『我々は歴史を理性に於いて見るかはりに理性を歴史に於いて見なければならない』といふ言葉にも心を引かれて、氏の言ふ時に關する四つの見方の前に連れて行かれた。『一つは過去から現在を經て未來に向ふ時であつた。二つは未來から現在を經て過去に向ふ時であつた。三つは現在から過去と未來とへ行く時であつた。四つは永遠から過去、現在、未來へ降りてくる時であつた』とある。氏はこの見方から、單なる過去は歴史ではなくて現在に於いて生命を有するもののみが歴史であると言ひながらも、猶、發展する歴史が歴史の全部でなく、歴史の全部が連續的なのではなく、歴史は現在の内
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