ツたと思ふ。そこから、『若きヱルテルのわづらひ』のやうな青春の書も生まれて來たし、生の肯定の苦しみを描いた『ファウスト』のやうな劇的な主題を取り扱つたものも生まれて來たし、またあのゲエテの晩年に見るやうな深い自然觀にも到達したかと思ふ。そこへ行くと鴎外漁史は違ふ。先生はあの通りな明徹の人であつたから、何事にもゲエテのやうに深入りしなかつたのではなからうか。それにゲエテは先生の行き方ともちがひ、むしろ感性に重きを置き、感情こそ一切だと言ふやうな人であつたから、その生涯を先生に比較することがすでに無理かも知れない。
鴎外先生の長い文學生涯から言つても、澤山な創作を殘されたのは先生の文體が一變してから後のことのやうである。『スバル』に『三田文學』に、先生の書かれるものは一頃よりは却つて若々しくさへ見えた。あの『舞姫』から出發せられた頃に思ひ比べると、表現の方法からして別人のやうになつた。先生のやうに長く精力の續いた人もめづらしい。幸田氏なぞがあの創作の筆を收めて、默し勝ちに暮さるゝやうになつても、まだ先生は長い歴史物を書いて倦まない人であつたところから見ると、やはり先生の内には他の先輩と
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