ハ譯を殘された作者でもあつた先生のやうな人が生れて來たことは、偶然ではないことを知つた。先生は文學の上で言葉の世界を豐富にしたばかりでなしに、今日陸軍で行はれてゐる軍事上の術語なぞも多く先生の考案によると云ふことを聞く。行くところとして可ならざるはないやうなその才能は驚かれる程で、博物館の館長も勤まれば、國語調査會の會長も勤まると云ふ人だつた。若い者の仕事などを喜んで助けると云ふやうなさう云ふ麗はしい性質を多分に持つてゐた人で、小山内君が自由劇場を始める時に、先生はイブセンの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を口譯し、それを鈴木春浦君に筆記させて與へたこともある。小山内君の新劇運動にも、その蔭には先生のやうな人の助力があつた。

 いつぞや正宗君、里見君と同席で、先生の噂などが出た折に、一體先生は東西の文學者の中で誰に私淑したらうかと云ふ問が出た。その時私は、先生が日頃の言説から押して、それはゲエテであらうかと答へて見た。そこで、ひとしきり私達の話はゲエテの生涯と先生の生涯の比較になつた。私はあの席で、二君にも話したことだが、ゲエテの生涯には何事につけても、身を以て當ると云ふところがあ
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