ノわたしたちが好い教師の一人である。
鴎外漁史
先年、私は山陰の方へ旅をして、鴎外先生の郷里の方まで行つて見たことがある。石見《いはみ》の國の高津川に沿うて行つたが、長州の國境に近い山間の小都會に津和野と云ふ町があつて、そこが先生の郷里であつた。そこ迄行くと、長州的な色彩も濃くなつて、石見からするものと、長州からするものが落ち合つたやうな感じを受ける。ちやうど、眞水と鹽水の落ち合つた感じのする町であつた。私は自分の郷里が、信濃の國境にあつて美濃に接近してゐるところから、さうした津和野のやうなところには特別の興味を覺えた。
そこに養老館がある。津和野の藩校の跡が殘つてゐる。少年時代の先生は、そこで學ばれたものらしい。その構内には郷土館があり、圖書館があり、集産館の設けもあつて、小規模ながらに、津和野のミュウゼアムと云へるのも珍らしく思つたが、その養老館の跡に學則風のものを書いた古い額が殘つてゐた。國學、漢學、蘭學、醫學、數學、武術としてあつて、鴎外先生の學問はこれだ、と思つて見て來た。後年に軍醫でもあれば、國學と漢學と洋學とに精通した學者でもあり、また、たくさんな創作や
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