フ一羽の鳩であつたらう。
 過ぐる日、西村君はわたしのもとに手紙を寄せられ、旅の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話をわたしに分ち、この鳩について何かわたしにも書きつけることを求められた。その手紙にはいろ/\なことが語つてある。當時の上海は十圓の金を投げ出しても豆一粒も手に入らないほどの死の街であつたから、君は食パンを豆の大きさにまるめ、僅かに命をつながせたとあり、青島《チンタオ》まで伴なひ歸つて漸く豆を與へ、大連まで來て高粱《カウリヤン》を與へることが出來たとある。君が國に歸つた時、この鳩を大毎の傳書鳩舍に同棲させたところ、何さま遠方の客であり、それに頭上にすこし毛立ちがしてゐて、異邦人扱ひを受けるらしいのに氣づいたが、その中に一羽友達が出來たから、早速この二羽を別居させるほどの心づかひをしたとある。當時事變講演會の催しがあつて君もしば/\引き出される毎に、君はこの鳩を伴なつて行つて、鳩同志の親善を大衆に説いたとある。惜しいことに、この鳩が死んで、君が家内中で藤の根に近くその死體を葬つたのは、昨年三月二十六日の君の誕生日を迎へた頃であつたともある
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