ニして行き得るかぎりを行き盡したところには、何が自分等を待つてゐるだらうかといふやうなことは、今からそれを言つて見ることも出來ない。
しかし同じ老年とは言つても、人生の旅は一筋道ではなささうだ。去年の初秋、私はある河のほとりに沿うて山道を旅したことがある。私の降りて行く道は、やがて河の流れて行く道だ。その時、私はさう思つた。晝夜を止めずに低きに就くやうなこの水は、進みつゝあるのだらうか、それとも歸りつゝあるのだらうかと。
私は七十歳に近い一人の老婦人を知つてゐるが、此婦人なぞのするところを見るに、物を探し物を掴まうとする日常刻々の努力にかけては、殆ど青年に異ならない。たゞ青年の探すものが好かれ惡しかれ新しい刺激を與へるやうなものであるにひきかへ、この老婦人の探すものは、若い時分に刺激を受けたものにどうかしてもう一度めぐり逢はうと思ふの相違だ。例へば變り果てた町の中を歩くにしても以前にあつた古着屋などを探し當てゝ、昔流行つた着物の殘りをなつかしむといふ風である。そこで私はこの老婦人を見る度に去年の河のほとりでの旅を思ひ出して自分に言つて見る。その年になつても休息することを知らないや
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