装ィを出版するとも違ひ、言はゞ長く置けない鮮魚を魚河岸へ送り出すやうなものであらうし、殊にその雜誌の趣意は今々河岸へ着いたばかりの魚のやうなイキの新しさを求めるばかりでなく、一般の讀者にもわかり易く味はれ易い平談俗語を主とすることであらうと思はれるから、自分もまたそんな輕い氣持ですこしばかりの寢言を書きつけ、それを餞《はなむけ》の言葉にかへよう。
『日の出』で思ひ出す。古い傳説によると、曾て太陽は天の岩屋に隱れてしまつたことがあつた。この世は全く長い夜の連續であつた。そこへ思慮の深い『知識』の神が來た。『知識』の神はこの世に日の出の遠くないことを感づいて、夜明けを告げるために澤山な鷄を集めた。常夜《とこよ》の長鳴鳥《ながなきどり》といふものの聲が闇の空を破つて遠くにも近くにも起つたが、そこいらはまだ暗かつた。そこへ今度は逞しい『力』の神が來た。いかな『力』の神でも、堅く閉ぢた岩屋の扉をこじあけることは出來ない。岩屋の前には、鍛冶に造らせた眞鐵《まがね》の鏡を持つて來て暗黒を照して見る『眞《まこと》』の神もある。玉造りに造らせた珠を持つて來て見る『徳』の神もある。枝葉の茂つた常磐木《ときはぎ》をそこへ運んで來て、一切の穢汚《きたな》いもの、あさましいものを拂ひきよめるために、青い布や白い布をその枝にかけて見る『淨化』の神もある。あるひは樺の皮を用ゐて占卜《うらなひ》に餘念もない『豫言』の神まである。これだけの神が揃つても、天の岩屋に隱れた太陽をどうすることも出來なかつた。最後に、そこへ面白い恰好をした女神が來た。この女神は日蔭《ひかげ》の葛《かづら》を襷にかけ、正木《まさき》の葛《かづら》の鉢卷をして、笹の葉を手に持ち、足拍子を取りながら扉の前で踊り出すといふ滑稽さであつた。のみならず、神が人間に乘り移つた時のやうな姿をして、恥かしい乳をあらはして見せ、腰から下には裳の紐をぶらさげた。それを見て笑はない神々はなかつたといふ。さすがの堅い岩屋の扉が細目に開けたのはその時であつた。『知識』でも、『力』でも、『眞』でも、『徳』でも、『淨化』でも、『豫言』でも、いかなる神の力でも開かれなかつた天の岩戸が、『笑』の女神の力によつて開かれた。
 わたしは戲れにこんな古い傳説を持ち出した譯ではない。『眞』の鏡も、太陽に向つてそれを光らせる時にのみ役立つことを語りたいのである。大きな『力』も、太陽が岩戸からやゝ姿をあらはしかけた時に、その手を執つて引き出すことにのみ役立つたことを語りたいのである。何と言つても、『笑』の力は大きかつた。そこから日の光もあらはれ、大地も微笑み、神も人と交つた。
 さて、雜誌『日の出』がどういふ讀物を滿載して、多くの讀者を樂しませようとするのであるか、それをわたしは、言つて見ることも出來ない。襷、鉢卷、足拍子の面白さは、當時流行のエロ、グロ、ナンセンスであつても構はない。願はくは、それがわたしたちの内にも外にも高く太陽を掲げるためのものであつて欲しい。暗い岩戸を押しひらいて、知らず識らずのうちに、大衆を高めることの出來るやうな、好い滑稽が溢れたものであつて欲しい。

     東歌

[#天から4字下げ]夏麻引《なつそび》く海上潟《うなかみがた》の沖つ渚《す》に船はとゞめむさ夜ふけにけり
 後の代のものがどの程度まで遠い過去の藝術に入つて行けるかといふことは、よくわたしに起つて來る疑問であるが、謠曲の蝉丸を喜多六平太氏方の能舞臺に見た時、原作者の説き明さうとしたものが時と共に失はれ來た後世になつても、その人の感じたものだけは長く殘つてゐることに氣がついた。萬葉の古歌に就いても同じやうなことが言はれよう。この東歌は、人も知るごとく上總《かづさ》の國の歌として、卷十四に載せてある雜歌である。わたしはこの歌を感ずることは出來ても、十分に説き明すことは出來ない。萬葉の古歌がさう完全にはわからないことは、良寛のやうな人の書き殘したものにも見える。たゞその感じ得られる部分が、この東歌にはいかにも深い。何度繰り返して見ても盡きない趣がある。

     澤木梢君のおもひで

 澤木梢君が亡くなつた後、『三田文學』では特に記念號を出して、君を記念するために多くの頁を割いた。いろ/\な方面の人達からの追悼録があつめてあつて、しかもその多くが通り一遍の美しい言葉で君の生涯を埋めてしまふやうなものでないのには感心した。その中には知己友人の持ち寄つた澤木君らしい逸話もあり、曾ては君の教へ子であつたといふ人達の率直な印象も語つてある。
 どうして、人が亡くなつた後になつて、こんな風に語られるといふ場合がさうざらにあらうとも思はれない。君の性格が性格だから、だん/\話の合ふ人もすくなくなつて行つたかと思はれるし、殊に病苦と戰ふやうになつてから、
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