ソがつた『青年』があつて、あたかも古葉のためにも煩はされずに、絶えず若葉する老樹のやうな力を持ち、晩年になつてもまだその力が衰へずにあつたかと思はれる。
シェークスピア
[#天から10字下げ](坪内逍遙博士が修訂完譯のシェークスピア全集成る)
シェークスピアを讀み直して見ることは、ある意味に於いて西洋文學を讀み直して見ることである。これはひとり東洋人ばかりでなく、西洋人にとつてもまた大切なことで、これまで幾度かその讀み直しが行はれ、そこから獨逸流の新解釋も生れ、佛蘭西風の見方も起り、トルストイのやうな人の異説ともなつた。われらとてもシェークスピアの如き西洋文學の代表的な作者をよく知らねばならない。今日國文學の研究熱がさかんに興つて來てゐる時に當つて、シェークスピア全集讀み直しの機會が與へられたことは、偶然なこととも思はれない。過去の經驗によれば、國文學の復興はたゞ單獨にはやつて來ない。それには必ず外國文學に對する新しい情熱を伴ふ。その意味から言つても、今囘中央公論社の發起によつて、坪内博士の新修シェークスピア全集が發行される日の來たことをわたしは多くの讀者諸君と共に悦びたい。
わたしがこれを書いてゐる日は、讀者諸君はすでに清楚な新裝の成つた譯本の一部を手にせらるゝ頃かと思ふ。試みにあの『ハムレット』や『以尺報尺』の中に書いてある博士の緒言と附記とを熟讀したまへ。おそらく諸君は西洋文學探求の決してゆるがせにすべきでないことを感知せらるゝであらう。ありのまゝに言へば、わたしは博士の譯筆に接して、どうかするとあまりの輕さにまごつくこともある。しかし、シェークスピア文學のやうな古典を、殊に『ハムレット』のやうな戲曲を、どういふ言葉でこの國に移し得るかをも考へて見る。これは、かのウイルアム・アーチャアがイブセンの散文戲曲の英譯を企てたにも勝るとも劣ることのない困難な仕事だ。何よりも先づこの骨折と、熱心とは尊い。
讀者諸君のために言へば、わたしはこの國の貞享元祿の作者達が、あるひは『五人女』を完成しあるひは『曠野集』八卷を編むより八十餘年も前の方に、先づ諸君の想像を誘ひたい。この國の徳川家康が晩年にも當る頃に、『ハムレット』が初演せられ、出版せられたことを想ひ見てもらひたい。その風俗も、その言葉も、またその感情も、おのづから後の代とは異ならうではないか。言つ
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