竄ヌり哉
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こんな風に芭蕉はまことの詩人らしい眼を開いて行つた。新しく興つた元祿の俳諧と、すでに先蹤のあつた天明の俳諧との相違も、そこにあると思ふ。わたしは芭蕉の青年期を振り返つて見て、この人にもこんな彷徨の時代があつたかと考へる。それほど周圍は暗かつたのだ。談林風の輕い滑稽はあつても、生氣の充實した好いユウモアに達し得たものはなかつたのだ。さういふ中で、芭蕉がいろ/\なものを振ひ捨てゝ、『猿蓑』の深さにまで詩の境地を進めて行つたあの不斷の努力と精進とを想ひ見ると、あれほど動搖の多かつたその青年時代もまたなつかしい。おそらく年若い頃の芭蕉が才氣にまかせて歩いた路はわたしたちの想像以上ではなかつたらうか。何程の精神の革新がそこに持ち來されたことだらう。さう想つて見ると、あの『一つぬいでうしろに負ひぬ』の更衣の吟も、たゞの旅路の口ずさみとは思はれない。
本居宣長
明治維新に對する本居宣長の位置は、あたかも佛蘭西革命に對するルウソオの位置に似てゐる。彼に『ヌウ※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ル・エロイズ』があれば、是に物のあはれの説があり、戀愛の説があるのも似てゐる。わたしは儒教風な男女關係の教に對して大膽に戀愛を肯定して見せた最初の人は明治年代の北村透谷だとばかり思つてゐたが、本居宣長の戀愛觀に接した時に、この自分の考へ方を改めなければならなかつた。この人の戀愛生活を探つて行つて見たら、どんな思ひがけないものが、出て來まいものでもあるまいといふ氣もする。兎もあれ、あのルウソオと殆んど時代を同じくして、東西符節を合せたやうに『自然に歸れ』と教へた人が吾國にも生れたといふことは、不思議なくらゐに思はれる。假令、その『自然』の内容に關しては、東西おのづから異なるところがあり、さう概括的には言つてしまへないまでも。
本居宣長は新しい時代を感知しそれに呼びかけ、又その道をあけたといふべき人で、徳川時代を見渡したところ近代人の父とも呼ばるべきはおそらくこの人かと私は心ひそかにさう思つて來た。
トルストイ
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(原久一郎君よりその譯書『トルストイの聖書』のために、
何か書きつけることを求められて。)
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これを書いた頃のトルストイが部屋の外には、すでに薄暮が迫つてゐたやうな氣
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