ゥよ。古人の設計になる茶室の簡素がいかに數量の美に基くかを見よ。)私の周圍には、すでにこのことを言ひ出した人もある。かうした時代に順應して、出來るだけ私達の生活を單純にするためには、數理をおろそかにしてはならない。

     杜子美

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玉露凋傷楓樹林
巫山巫峽氣蕭森
江間波浪兼[#レ]天涌
塞上風雲接[#レ]地陰
叢菊兩開他日涙
孤舟一繋故園心
寒衣處々催[#二]刀尺[#一]
白帝城高急[#二]暮砧[#一]
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 この詩、五句目にある兩開とは、兩年の秋に開くの意であり、他日の涙とは過ぎし日の涙の意である。昨年の秋に開いた菊が今年の秋にも開いて、過ぎし日の涙を催させたとの意である。六句目の故園を思ふ心にかけて孤舟といふことを言ひ出して來てあるのは、作者が山峽の間にゐて江流の涌き立つさまを眺めながら、一日も早く舟に乘つてその山峽を出たいと思ひ立つ時であつたからである。これは『秋興八首』としてある詩の一つで、作者は杜子美である。
 わたしはまだ信濃の山の上の方にゐて、千曲川のスケッチなぞをつくつてゐた頃のことであつた。當時小諸義塾の塾主であつた木村熊二翁がこの詩をわたしに示し、特にその中の『叢菊兩開他日涙、孤舟一繋故園心』の二句を指摘して、いかにこの詩の作者が心の深い人であるかをわたしに言つて見せた。それが日頃自分の愛讀する杜詩であつたといふことにもわたしは心をひかれ、これを示した木村翁が自分とはずつと年齡も違へば學問の仕方もまるきり違つてゐることにも心をひかれた。わたしは自分と同じ杜詩の愛を思ひがけないところに見つけたやうな氣がして、それからは『秋興八首』を讀み返して見る度によく翁の生涯を思ひ出す。
 青年時代にはそれほどはつきりとしなかつた杜詩の大きな背景、それらのものがこの節しきりとわたしの想像に上つて來る。言つて見れば、詩人としての杜子美は大きな現實主義者である。性格的にさう言へると思ふ。五十九歳で唐の來陽といふところに病死したといふその涙に滿ちた生涯が何よりの證據だ。さういふ點で、多分にロマンチックな要素をそなへてゐたあの李太白の質とはいちじるしい對照を見せる。杜詩の痛切な現實性は、一字一句の末にもあらはれてゐないではないが、それよりもこれらの詩の全體が語るものにこそ、まことの詩人らしさが窺はれると思ふ。

   
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