謔ュない、假令《たとへ》少しづゝでもその折にふれて何度にも贈れといふことが、翁の書いたものに見える。物は小出しにせよと教へてあるのだ。小事をおろそかにしない人でなければ、かういふことは言へない。また、かういふところへ氣もつくまい。

 うす暗い行燈や蝋燭をつけて夜を送つた昔には、それによく映る衣裳の色があつた。その行燈や蝋燭に替はる明るいランプの時代が來ると、曾てうす暗いところで美しく見えたものが、最早見られない。そこで衣裳の色が變り、風俗の好みも移る。今度はランプよりもつと明るい電燈の時代を迎へると、また/\流行の衣裳の色が變つて來た。近頃の婦人が夜の席に着る薄色の晴着なぞは、電燈時代を語つてゐないものはない。
 わたしの側へ來て、この話をして見せた人がある。世の中の流行が變る前に、すでに燈火が變つてゐるのだ。わたしたちが日頃經驗することは、これに似たものが多い。早くその照光に氣のついた者は、あるひは流行の外に立つといふことも出來よう。いつまでもランプ時代と同じつもりでゐる者は、流行の輕薄を嘲るか、さもなければその後を追ひかけるのほかはあるまい。

     老子

 トルストイがその晩年に、老子の教を探し求めてゐたといふことは床しい。思想とは完成するにつれて殼を脱ぐやうなものではあるまいか。あらゆるものを見盡し、あらゆる試錬に耐へ、その志を弱くし、その骨を強くするところまで行つて、萬苦を經て後に思想無きに到つたやうな人が老子ではあるまいか。

     パスカル

 わたしはパスカルのやうな思想家で宗教的な生涯を送つた人が數學の天才で早い青年期に既に高遠な數理を考へた人であつたといふことに日頃深い興味を覺える。大地に堅く足をつけてかゝつた歐羅巴人が近代に根を張つたことの決して偶然でないことを想ひ見る。先づ生活力の基礎となるべき數理を會得することだ。眼前の事物にばかり囚はれないことだ。想像力を豐かにして、數の美を感知することだ。形、面、積、量、質、長さ、高さ、廣さ、深さ、厚さ、距離、位置、度數、速力、配合、組立等の持つ美を感知することだ。この數理の觀念と美の結合は、私達の生活を簡素にすることに役立ち、やがて新しい創造に向はせることになる。このことは建築や工藝ばかりでなく、文藝上の制作にも重要な働きをすると思ふ。(印度經典の文學がいかに無限大、無限小の想像に富むかを
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