轣A噛みしめるやうな味を出さうとつとめなくとも、多く讀み、多く書き、そして多く忘れた後には、その人/\にそなはる味はおのづから出て來ると思ふ。文思、湧くがごとし。青春の時は先づさうありたい。
夜咄
市川團十郎の三十年忌が來た。妙な縁故で、わたしは芝居道に關係の深い人の家に自分の少年期から青年期を送つたから、あの名高い役者が貧しく骨の折れた時代を知つてゐるし、後には馬車で樂屋入りをした時代をも知つてゐるし、またあの人の藝を舞臺の上に見る機會も多かつた。あの人の生前に、ある日、議會の傍聽に出掛けて、歸つてから傍のものに話したといふ言葉は、又聞きではあるが今だにわたしの記憶に殘つてゐる。議員諸氏は平常の事を議するにも、あんな大きな聲を出してゐるが、もし非常時に出逢つたら、どんな大きな聲を出すつもりだらう、と團十郎は言つたとか。さすがに舞臺の人だ。その人の平常の心掛けもしのばれて、一見識ある言葉と思つた。
世阿彌もおもしろいことを言つた。この人は能樂の太夫であり、作者であり、七十二歳の老翁になつて佐渡ヶ島へ流されたといふ閲歴をもち、觀世流の源をなしたほどの昔の人ではあるが、この世阿彌の口傳書の中に、諸道の藝の祕密も、それをあらはしてしまへば、そんなに大したことでもないものである、しかしそれを大したことでもないと言つてしまふ人は、まだ藝の祕密を知らないからだ、と教へてある。この人の書きのこしたものを見ても、さう大きな聲で物が言つてない。能の舞臺ですることに文字の風情にあたることは何かと人に尋ねられた時、それはこまやかな稽古であると答へ、その風情こそいろ/\な働きとなる初めであると答へ、舞臺の上の身づかひといふのもその風情であると答へ、さらにそれを花の風情に譬へて、濕つてしまつてはおもしろくない、花の萎れたところが面白いのだ、とさう教へてある。世阿彌といふ人が眼のつけ方も、心の持ち方も、すべてこの類だ。
諸藝に達した人々は、こんなに小さなことを粗末にしない。大きな聲を出すことを知つて、小さな聲を出すことを知らない者は疲れる。大きく働くことを知つてゐても、小さく働くことを知らない者は退屈する。大きな言葉ばかりを知りながら、小さな言葉のあることを知らない者は悶える。
故福澤翁に、小出しの説がある。人に物を贈らうとするのに、一時に多く贈らうと思ふことは反つて
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