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三義とは、この鳩の名である。上海の三義里街に因《ちな》むところから、その名がある。陸戰隊長植松少將の命名にかかるものであるとか。ことしの三月二十六日には、また西村君の誕生日がめぐつて來た。ちやうど亡き鳩を葬つた日の一周年にあたり、村の人が集まつてその塚に小さい碑を立てた。上海には縁故の深い重光公使の筆によつて、その碑に、『三義之塚』の文字が記された。すべてこれらのことは君からの消息にくはしい。
時を感じては花に涙をそゝぎ、別れを惜しんでは鳥にも心を驚かすとやら。あの多感な詩人の言葉は君をもうなづかしめるであらうと信ずる。おそらく、その鳩塚に近い藤の根にも、またことしの春がめぐつて來よう。緑はそひ、生命は活きかへつて、その碑の上に再び他日の蔭を落すことであらう。これは小さなものの名殘、短かくはあるがおのづからな親善と愛との形見である。
煙草
私の煙草好きも久しいものだが、客でもあつて、この私に向つて、君はその敷嶋を一日に幾袋あけるかと聞かれる時はつらい。雇ひ入れた下女なぞが思ひの外な始末のいゝ人で、私の紙卷煙草の吸殼をひそかに貯へて置いて、藪入りの日にでもそれを里へ持ち歸らうとする時は、猶更つらい。好きなものは兎角隱したい。
破屋
[#天から10字下げ]散文にて譯し試みたる楊岐の詩
われ住めば、いつしか壁もまばらに、滿床こと/″\くめづらしき雪の珠を散らしぬ。時には頸を縮めて暗き涙も飮みたれど、古人が樹下のすみかを憶ひては心をひるがへしたり。
文章を學ぶもののために
年若くして文章の道に出發するほどのものは、先づ自分の持つものを粗末にしないことこそ願はしい。言葉の感覺には敏《さと》くありたい。その感覺に鈍くては文章の道には到り得ない。失敗を恐れて、試みることを躊躇するやうなものも、またこの道を行き盡せない。われら幼少の頃には、食物なぞにも好き嫌ひが多かつたが、追々成人するにしたがつて何でも食へるやうになり、血氣さかんに食慾も進む年頃に達しては何を食つて見てもうまく、おほよその食物を選り好みするといふこともなかつた。さういふところを通り越してからは、むしろ食を減ずるやうになつたが、そのかはり食物の味は増して來た。さかんに多く食ふといふよりは、精しく味はつて食ふことの方に變つて來た。文章とてもその通り、さう若いうちか
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