りに尋ねて行くという。はるばるの長旅、ここまでは辿り着いたが、途中で煩《わずら》った為に限りある路銀を費い尽して了った。道は遠し懐中《ふところ》には一文も無し、足は斯の通り脚気で腫れて歩行も自由には出来かねる。情があらば助力して呉れ。頼む。斯う真実を顔にあらわして嘆願するのであった。
「実は――まだ朝飯も食べませんような次第で。」
 と、その男は附加《つけた》して言った。
 この「朝飯も食べません」が自分の心を動かした。顔をあげて拝むような目付をしたその男の有様は、と見ると、体躯《からだ》の割に頭の大きな、下顎《おとがい》の円く長い、何となく人の好さそうな人物。日に焼けて、茶色になって、汗のすこし流れた其|痛々敷《いたいたし》い額の上には、たしかに落魄という烙印《やきがね》が押しあててあった。悲しい追憶《おもいで》の情は、其時、自分の胸を突いて湧き上って来た。自分も矢張その男と同じように、饑と疲労《つかれ》とで慄えたことを思出した。目的《あてど》もなく彷徨《さまよ》い歩いたことを思出した。恥を忘れて人の家の門に立った時は、思わず涙が頬をつたって流れたことを思出した。
「まあ君、そこへ腰
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