ような心地がする。熱い空気に蒸される林檎の可憐らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音、すべて、見るもの聞くものは回想《おもいで》のなかだちであったのである。其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い気分になった。半生の間の歓《うれ》しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛《くるしみ》を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで生きながらえて来たと思われる位。破船――というより外に自分の生涯を譬える言葉は見当らない。それがこの山の上の港へ漂い着いて、世離れた測候所の技手をして、雲の形を眺めて暮す身になろうなどとは、実に自分ながら思いもよらない変遷《うつりかわり》なのである。
こう思い耽って居ると、誰か表の方で呼ぶような声がする。何の気なしに自分は出て見た。
旅窶《たびやつ》れのした書生体の男が自分の前に立った。片隅へ身を寄せて、上り框《がまち》のところへ手をつき乍ら、何か低い声で物を言出した時は、自分は直にその男の用事を看《み》て取った。聞いて見ると越後の方から出て来たもので、都にある親戚をたよ
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