うですか」
 山本さんは笑って、「これは奥さんじゃないよ――妹だよ」
 お新も笑った。この笑が反って女中を半信半疑にさせた。女中は、よくある客の戯れと思うかして、「御串談《ごじょうだん》ばかり」と眼で言わせて、帯の間から巾着《きんちゃく》を取出そうとするお新の様子をじろじろ眺めた。
 山本さんはお新に金を費わせまいとした。彼女が出す前に、彼は上等の切符の代を女中の前に置いた。
「兄さん、それじゃ反《かえ》って困りますわ」
 とお新が言った。
 山本さんは聞入れなかった。汽車代から何からお新の分まで、一切彼の方で持った。金のことにかけては細《こまか》い山本さんが、この旅には出さなくとも済むようなところまで出して、一寸寄って昼飯を食った旅舎の茶代までうんと奮発した。汽船の出る時が来た。伊豆の港々へ寄って行く船だ。二人は旅舎の前の崖《がけ》を下りて、浪打際《なみうちぎわ》の方まで下りた。踏んで行く砂は日を受けて光るので、お新は手にした洋傘《こうもり》をひろげた。日に翳《かざ》した薄色の絹は彼女の頬のあたりに柔かな陰影《かげ》を作った。山本さんは又、旧いことまで思出したように、彼女と二人で歩く
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