方がたが卒業して郷里へ帰ると言うんで、丁度今日みたような騒ぎをしましたッけ……お新ちゃんなぞは、あの時分のことは最早忘れて了ったんでしょう」
「兄さん、私だってそんなに忘れるもんですか」
「停車場《ステーション》へ送りに行ったら、多勢貴方がたの御友達も来ていて……後からやって来て、窓のところで泣いた人なぞも有りましたろう……」
「覚えていますよ」
「なんですか……もしあの時分、お嫁に来て下さいと言いましたら、貴方は私の許《ところ》へ来て下すったでしょうか……」
「兄さんの許《とこ》なら、誰だって行きますわ――」
 お新は若々しい快活な声で、大きな丸髷が揺れるほど笑った。

        *     *     *

 上野まで妹達を見送って、復た引返して来た時は、山本さんは全く独りぽっちの自分を旅舎の二階に見出した。部屋の隅にある大きな支那鞄なぞが唯彼を待っているばかりだった。錯々《せっせ》と働いて余分に貯めて来た金は、何に費したともなく費された。
 山本さんは窓のところへ行って、遠く町の空に浮ぶ煙のような雲を望んだ。長いこと彼はボンヤリ立っていた。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:しず
2000年2月28日公開
2000年11月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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