に貴方《あなた》がたには嬉しいの」こう言いながら泉太や繁に取りまかれる時が、一番輝子らしい時であった。
「もう君ちゃん達も学校から帰って来る時でしょうか。それじゃ、今少し御邪魔させて頂いて」
と言って話頭を変えようとする輝子を前に置いて、岸本は満洲の方に居る輝子の夫の噂や台湾から上京するという民助兄の噂などに返った。
「ことしの夏は俺も暑い思いをした。殆んど誰にも逢わずに懺悔を書いて暮した。でも梅雨《つゆ》が短くて、それだけは助かったね。まるでこの一夏は、熱い汗と冷い汗とを流しつづけたようなものだね」
と岸本は輝子に言って見せた。
百三十一
到頭十月の初までも待った。岸本は節子からの手紙を読む度《たび》に、今日は台湾の方から何とか言って来るか、明日は何とか言って来るか、とそればかりを待ち暮した。一月《ひとつき》は一月より気まずい思いをして谷中の家に暮すように成って行った節子の様子が岸本には思いやられた。彼女は岸本との交通を断たれてから、自活の道をも断たれてしまった。その中で折角延びて来た生命《いのち》の芽を育てて行くということも容易ではないと思いやられた。もし、自分が側に附いていたら。それを岸本は考えて、情熱と真実とに生きようとするものの告白後の結果に、その酷《むご》たらしさに、胸の塞《ふさ》がる思いをした。
「早く旅にでも何でも出掛けるが可《い》い」
と岸本は独《ひと》りでよくそれを節子のために言って見た。
節子から来る手紙で、岸本は彼女がどういう日を送っているかをありありと眼に見るように想像することが出来た。鶉《うずら》を飼うことに夢中になり花をつくることに夢中になっているというある人の噂が義雄兄と祖母さんの間に出て、「あの男もつまらないものに凝る男だ」と義雄兄が言出す、祖母さんはそれを受けて「それも楽みで好いわのい」と答えると、「それもそうだ、同じ凝るにも鶉や花に凝る奴は人が見ても楽めるが、男や女に凝る奴は処分にいかん」……こんな会話のはしにも当てこすりを言われて、それを聞かされているという節子を想像することが出来た。ある時は食事の後で宗教の話が出て、「宗教なんてものに碌《ろく》なものは無い、そんなものを信じる奴は馬鹿ばかりだ、天理教だの日蓮《にちれん》宗だの耶蘇《やそ》教だの皆《みんな》きちがいのやることだ」と言い出したという義雄兄をも、それを聞いて余程《よほど》何か言おうかとは思ったが我慢したという節子をも想像することが出来た。
「けれども、女の伝道師などにも一種の型がございますね。ああいうのは私もあんまり好きではございません。外観から申しましても私の好きなのは、所謂《いわゆる》上品から野暮を捨て、意気から下品を捨てたものでございますから」
こんなことを節子は手紙の中に書いてよこすこともあった。
何故宗教の話なぞが谷中の家で出るかというに、言うまでもなく節子の志すところがそこにあるからだ。身内のものの中から宗教の方面に人を送るというのも床《ゆか》しいことだと考えるようなものは、兄弟中で岸本の外には無かった。彼は節子の向いて行こうとする方面に賛成しているばかりでなく、寧《むし》ろその志を励ましたいくらいに思っていた。彼は節子からの依頼で、基督《キリスト》教主義のもとに出来た婦人の寄宿舎の様子を聞き合せたこともある。もし節子が宗教生活に身を投じようとならば、いくらも彼女の行く道はありそうに思えた。岸本に言わせると、彼女の宗教心は、言わば心の芽だ。そのかわり彼女には子供の時分から無理に注《つ》ぎ込まれたような先入主と成ったものが無い。その心の芽が罪過から萌《きざ》して来たところに、岸本は望みを掛けていた。いずれにしても、彼女は今々|直《す》ぐに思うところへ出て行かれるような人ではなかった。「時」というものの力を待つの外はない人であった。
こうした心持から、岸本は節子のために民助兄の上京を待受けた。漸《ようや》く十月の半ば過ぎまで待って、その月の十一日に基隆《キールン》出帆の船に乗るという兄の通知が岸本のところへ届いた。
百三十二
台湾の民助兄は大阪の愛子夫婦の家に一二泊、用事の都合で静岡へも立寄って、その上で上京した。この兄は先《ま》ず谷中の家の方に着いて、それから岸本のところへ尋ねて来ることになった。
節子が動こうとする頃には、岸本もまた動こうとしていた。彼は自分の下宿からさ程遠くない天文台の附近に家を見つけて移り住もうとしていた。下宿の離座敷《はなれ》を借りて三人の子供を養うも、一軒の家を借りて出るのも、半分旅人のような彼の生活には殆んど変りが無かった。彼は唯《ただ》、今の離座敷にあるものをそっくり新規な家の方へ持って行くだけのことであった。丁度|煮焚《にたき》の世話を頼むに好さそうな婆やも一人見つかったし。泉太をはじめ繁や君子まで日に増し成長して来て、自分の子供は自分の手で育てたいと思った彼が望みもいくらか遂げられたからで。子供等もまた次第に父と四人だけの簡素な生活に慣らされて来たからで。
ある朝……十月の二十日過ぎの頃、岸本はひどい雨の音で眼がさめた。未だ夜は明けきらなかった。一年半足らず暮して見た離座敷の南側にある窓の雨戸の透間《すきま》の薄明るくなったのが彼の眼に映った。枕《まくら》の上で聴《き》くと、何処《どこ》から伝わって来るともなく虫の鳴声がする。それが秋雨の音の中で聞える。ややしばらく彼は枕に頭をつけたままで、窓の外の庭草に降りそそぐ夜明がたの雨を聞いていたが、あの巴里《パリ》の下宿の方に居る時分どうかするとよく眠られないで夜中に眼をさましたことを思い出した。その度に寝台を下りて、暗い旅の窓の側で仏蘭西《フランス》の煙草なぞを吸《の》んで見て、復《ま》た寝台に上ったことを思い出した。何時《いつ》の間にか彼の心は谷中の家の方へ行った。そこに泊っている民助兄がどういう心持で自分の懺悔を読んで見てくれたかを思い、またどういう心持でこの下宿へ尋ねて来てくれるかを思った時は、自分の身を羞《は》じる心と、遠く行く節子を憐《あわれ》む心と、この生に徹したいと思う心と、それらの心が一緒になって耳に聞える虫の鳴声と混り合った。彼は窓の外で鳴く虫が秋雨に打たれているのか、自分が冷い思いをしているのか、その差別もつけかねるように思いながら、次第に明るくなって行く朝を迎えた。
岸本はそろそろ引越の支度《したく》をしながら民助兄を待っていた。午後から兄が尋ねて来た頃は何時の間にか雨も通過ぎた後であった。前の年に一度、民助は台湾の方から上京して久しぶりで弟と顔を合せたことがあった。その兄も、岸本が仏蘭西の旅に上ろうとした当時神戸の旅館で偶然落合って別離《わかれ》の酒を酌《く》みかわした頃の兄も、殆んど変りのないほどの人であった。今度逢って見ると、相変らず民助は身体のよく動く人で、台湾|土産《みやげ》のバナナの菓子や羊羹《ようかん》を提《さ》げて来て子供等の悦《よろこ》ぶ顔を見ようとする人で、種々な事業上の話から台湾の方に嫂《あによめ》と二人住む家の庭の熱帯植物の特色などまで物静かに語り聞かせるような人ではあったが、しかし岸本は今まで合せたことの無いような顔を合せた。節子の話が出るまでは、岸本は沈着《おちつ》かなかった。
百三十三
岸本は半日民助兄と話し暮した。久しぶりで酒を取寄せ、夕飯を出す頃になっても、未だ節子の話は出なかった。子供等は台湾の伯父さんと一緒に食事することをめずらしがるばかりでなく、土産にと言って民助のくれた椰子《やし》の実の菓子鉢《かしばち》などを見るにつけても熱い地方のことを子供心に聞きたがるという風で、食後まで伯父さんの側を離れようとはしなかった。
「お客さまはお泊りでございますか」
とやがて女中が訊《き》きに来るように成った。
「子供は今夜は早く寝るが好い……お前達はもう寝よや……泉ちゃんも繁ちゃんもお休み」
と民助に言われて、子供等は何かなしに嬉しそうに床に就《つ》いた。女中は客の夜具を運んで来て、離座敷《はなれ》の潜《くぐ》り戸《ど》を閉めて行った。母屋《おもや》の台所の方では未だ宵の口と言ってもいいほどの時ではあったが、宿の主人の笑声一つ離座敷へは聞えて来なかった。
「時に、懺悔《ざんげ》の一件だ」
と民助が切出した。
岸本はその話の出るのを待受けていた。民助兄がここへ訪《たず》ねて来る前に谷中の方で既に義雄兄との協議のあったことをも想像していた。それにしても、節子を処分しようとしている義雄兄からの依頼を受けてやって来た長兄を前に置いて、岸本は何を話していいかも分らなかった。
「まあ廻りくどいことは訊くまい……」と民助が言った。「貴様が旅に出掛けるまでのことは俺《おれ》の方では問わない。旅から帰って来てだナ、それから復《ま》た節ちゃんと関係があったか、どうか――それを訊こう」
「ありました」と岸本は簡単に答えた。
「それはどうも怪《け》しからん。国へ帰って来てから復た関係をつけるなんて、実に言語道断だ。貴様も意志の弱い男じゃないか」
「そりゃもとより弱いものです。弱いことは自分でも承知しています。私から義雄さんへ宛《あ》てて手紙を進《あ》げて置きました。あの中にはいくらか自分の心持も出ているつもりですが、あれを兄《あに》さんは読んで見て下すったでしょうか。私が旅から帰って来ますと、義雄さんの家の様子といい、節ちゃんの様子といい、なかなか口にも言えないようなものでした。まるで節ちゃんは半分死んでる人でした。まあ私は人一人を憐《あわれ》むような量見を起したんですね」
「関係なしに、そういう量見を起したなら、そりゃ聞える――そりゃ立派なものだ」
「しかし、関係とは言いますけれど、男と女の間でそういうことにでも成らなけりゃ本当に相手のものを救うような気にも成らないようなものじゃ有りませんか。私もひどくそういう関係を卑《いや》しんだ時代も有りました。そこからいろいろな苦しみも起って来たようなものですが、今では兄さん達のようにそれほど卑しいものとは思っていません」
「そういうむつかしいことは俺は知らない。俺はそういうことを言いに来たんじゃない。貴様が一婦人の愛に溺《おぼ》れていることを言いに来たんだ」
百三十四
民助は弟の反省を促そうとするような調子で、今まで誰にも話したことの無いという父の生涯に隠れたものを岸本の前に展《ひろ》げて見せた。民助に言わせると、あれほど道徳をやかましく言った父でも誘惑には勝てなかったような隠れた行為《おこない》があって、それがまた同族の間に起って来た出来事の一つであったという。
「俺は今までこんなことを口に出したことも無い」と民助は弟を前に置いて、最早《もはや》この世に居ない父の道徳上の欠陥が末子《まっし》の岸本にまで伝わり遺《のこ》っているのを悲むかのような口調で言った。
「そういうお父《とっ》さんの側に附けて置いては不可《いけない》――どうしても捨吉は他《よそ》へ修業に出さなけりゃ不可――その考えが俺にあったから、お父さんに勧めて貴様を東京へよこすことにした。その親の子だ。余程考えてよく行《や》って貰《もら》わんけりゃ成らんというのは、そこだ。まあ俺なぞから見ると、貴様のように一婦人に迷うなんてことが、てんで可笑《おか》しい」
「そう兄《あに》さんのように言っても困ります」と岸本は答えた。「ここまで出て来るには私だってもいろいろなところを通って来た揚句《あげく》です。一婦人とは言いますけれど、私はそう軽く視《み》ていません。もしそんなことを言ったら、一生互に苦労する細君だっても一婦人じゃありませんか」
「いや、そこが可笑しいと言うんだよ。同じ苦労するならばだナ、もっと大きなことの為に苦労するが可《い》いじゃないか。もっと世の中のために成るとか、人間全体のために益《えき》になるとかサ」
「私もそう思わないじゃ有りません。しかし人間のためと言いましても
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