sった。門松のある中に遊ぼうとするような娘子供は狭い町中で追羽子《おいばね》の音をさせて、楽しい一週の終らしい午後の四時頃の時を送っていた。丁度家には根岸の嫂《あによめ》が訪ねて来て岸本の帰りを待っていた。
「オオ、捨さんか」
と嫂は岸本の名を呼んで言った。この嫂は岸本が一番|年長《うえ》の兄の連合《つれあい》にあたって、節子から言えば学校時代に世話に成った伯母さんであった。「女の御年始という日でもありませんけれど、宅でも台湾の方ですし、代理がてら今日は一寸《ちょっと》伺いました」とも言った。
節子は正月らしい着物に着更《きか》えて根岸の伯母を款待《もてな》していた。何となく荒れて見える節子の顔の肌《はだ》も、岸本だけにはそれが早《は》や感じられた。彼はこの女らしく細《こまか》いものに気のつく嫂から、三人も子供をもったことのある人の観察から、なるべく節子を避けさせたかった。
「節ちゃん、そんなとこに坐っていなくても可《い》いから、お茶でも入れ替えて進《あ》げて下さい」
岸本は節子を庇護《かば》うように言った。長火鉢《ながひばち》を間に置いて岸本と対《むか》い合った嫂の視線はまた、娘のさかりらしく成人した節子の方へよく向いた。この嫂は亡《な》くなった岸本の母親やまだ青年時代の岸本と一緒に、夫の留守居をして暮した骨の折れた月日のことを忘れかねるという風で、何かにつけて若いものを教え誨《さと》すような口調で節子に話しかけた。遠い外国の方で楽しい家庭をつくっているという輝子の噂《うわさ》も出た。
「ここの叔父さんなればこそ、あれまでに御世話が出来たんですよ。この御恩を忘れるようなことじゃ仕方がありません、いくら輝さんが今楽だからと言って――」と嫂は好い婿を取らせて子供まである自分の娘の愛子に、輝子の出世を思い比べるような調子で言って、やがて節子の方を見て、「節ちゃんも、好い叔父さんをお持ちなすって、ほんとにお仕合せですよ」
それを聞いている岸本は冷い汗の流れる思をした。
二十一
嫂は長い年月の間の留守居も辛抱|甲斐《がい》があって漸《ようや》く自分の得意な時代に廻って来たことや、台湾にある民助兄の噂や、自分の娘の愛子の自慢話や、それから常陸《ひたち》の方に行っている岸本が一番末の女の児の君子の話なぞを残して根岸の方へ帰って行った。岸本から云えば姪《めい》の愛子の夫にあたる人の郷里は常陸の海岸の方にあった。その縁故から岸本はある漁村の乳母《うば》の家に君子を托《たく》して養って貰《もら》うことにしてあった。
「捨さんも、そうして何時《いつ》までも独りでいる訳にも行きますまい。どうして岸本さんではお嫁さんをお迎えに成らないんでしょうッて、それを聞かれる度《たび》に私まで返事に困ってしまう」
根岸の嫂はこんな言葉をも残して置いて行った。
こうした親類の女の客があった後では、岸本は節子と顔を見合せることを余計に苦しく思った。それは唯の男と女とが見合せる顔では無くて、叔父と姪との見合せる顔であった。岸本は節子の顔にあらわれる暗い影をありありと読むことが出来た。その暗い影は、「貴様は実に怪《け》しからん男だ」という兄の義雄の怒った声を心の底の方で聞くにも勝《まさ》って、もっともっと強い力で岸本の心に迫った。快活な姉の輝子とも違い、平素《ふだん》から節子は口数も少い方の娘であるが、その節子の黙し勝ちに憂い沈んだ様子は彼女の無言の恐怖《おそれ》と悲哀《かなしみ》とを、どうかすると彼女の叔父に対する強い憎《にくし》みをさえ語った。
「叔父さん、私はどうして下さいます――」
この声を岸本は姪の顔にあらわれる暗い影から読んだ。彼は何よりも先《ま》ず節子の鞭《むち》を受けた。一番多く彼女の苦んでいる様子から責められた。
急に二人の子供の喧嘩《けんか》する声を聞きつけた時は、岸本は二階の方の自分の部屋にいた。彼は急いで楼梯《はしごだん》を馳《か》け降りた。
見ると二人の子供は、引留めようとする節子の言うことも聞入れないで争っていた。兄は弟を打《ぶ》った。弟も兄を打った。
「何をするんだ。何を喧嘩するんだ――馬鹿」
と岸本が言った。泉太も、繁も、一緒に声を揚げて泣出した。
「繁ちゃんが兄さんの凧《たこ》を破いたッて、それから喧嘩に成ったんですよ」と節子は繁を制《おさ》えながら言った。
「泉ちゃんが打《ぶ》った――」と繁は父に言付けるようにして泣いた。
兄の子供は物を言おうとしても言えないという風で、口惜しそうに口唇《くちびる》を噛《か》んで、もう一度弟をめがけて拳《こぶし》を振上げようとした。
「さあ、止《よ》した。止した」と岸本が叱るように言った。
「もうお止しなさいね。兄さんも、もうお止しなさいね」と節子も言葉を添えた。
「まあ、坊ちゃん方は何を喧嘩なすったんです」
と言って、婆やがそこへ飛んで来た頃は、まだ二人の子供は泣きじゃくりを吐《つ》いていた。
岸本は胸を踊らせながら自分の部屋へ引返して行った。硝子戸《ガラスど》に近く行って日暮時の町を眺《なが》めた。河岸の砂揚場のところを通って誘われて来た心持が岸本の胸を往来し始めた。彼はあの水辺《みずべ》の悲劇を節子に結びつけて考えることすら恐ろしく思った。冷い、かすかな戦慄《みぶるい》は人知れず彼の身を伝うように流れた。
二十二
七日ばかりも岸本はろくろく眠らなかった。独《ひと》りで心配した。昼の食事の時だけは彼は家のものと一緒でなしに、独りで膳《ぜん》に対《むか》うことが多かったが、そういう時には極《きま》りで節子が膳の側へ来て坐った。彼女はめったに叔父の給仕の役を婆やに任せなかった。それを自分でした。そして俯向《うつむ》き勝ちに帯の間へ手を差入れ、叔父と眼を見合せることを避けよう避けようとしているような場合でも、何時でも彼女の膝《ひざ》は叔父の方へ向いていた。晩《おそ》かれ早かれ破裂を見ないでは止《や》まないような前途の不安が二人を支配した。岸本は膳を前にして、黙って節子と対い合うことが多かった。
「叔父さん、めずらしいお客さまがいらっしゃいましたよ」
と楼梯《はしごだん》の下から呼ぶ節子の声を聞きつけた時は、岸本は自分の書斎に居た。客のある度《たび》に彼は胸を騒がせた。その度に、節子を隠そうとする心が何よりも先に起《おこ》って来た。
丁度町でも家の内でもそろそろ燈火《あかり》の点《つ》く頃であった。岸本は階下《した》へ降りて行って見た。十年も彼のところへは消息の絶えていた鈴木の兄が、彼から言えば郷里の方にある実の姉の夫にあたる人が、人目を憚《はばか》るような落魄《らくはく》した姿をして、薄暗い庭先の八ツ手の側に立っていた。
岸本はこの珍客が火点《ひとも》し頃《ごろ》を選んでこっそりと訪《たず》ねて来た意味を直《す》ぐに読んだ。傷《いた》ましい旅窶《たびやつ》れのしたその様子で。手にした風呂敷包と古びた帽子とで。十年も前に見た鈴木の兄に比べると、旅で年とったその容貌《おもばせ》で。この人が亡くなった甥《おい》の太一の父親であった。
妻子を捨てて家出をした鈴木の兄は岸本の思惑《おもわく》を憚るという風で、遠慮勝ちに下座敷へ通った。
「台湾の兄貴の方から御噂はよく聞いておりました」
こう言って迎える岸本をも鈴木の兄は気味悪そうにして、何を義理ある弟から言出されるかという様子をしていた。
「泉ちゃん、お出《いで》。鈴木の伯父《おじ》さんに御辞儀するんだよ」と岸本がそこに居る子供を呼んだ。
「これが泉ちゃんですか」と言って子供の方を見る客の顔には漸《ようや》く以前の旧《ふる》い鈴木の家の主人公らしい微笑《えみ》が浮んだ。
「伯父さん、いらっしゃいまし」と節子もそこへ来て挨拶《あいさつ》した。
「節ちゃんか。どうも見違えるほど大きくなりましたね。幼顔《おさながお》が僅《わず》かに残っているぐらいのもので――」と鈴木の兄に言われて、節子はすこし顔を紅《あか》めた。
「私の家でもお園が亡くなりましてね」と岸本が言った。「あなたの御馴染《おなじみ》の子供は三人とも亡くなってしまいました。一頃《ひところ》は輝も居て手伝ってくれましたが、あの人もお嫁に行きましてね、今では節ちゃんが子供の世話をしていてくれます」
「お園さんのお亡くなりに成ったことは、台湾の方で聞きました……民助君には彼方《あちら》で大分御世話に成りました……捨さんのことも、民助君からよく聞きました……何しろ私も年は取りますし、身体も弱って来ましたし、捨さんに御相談して頂くつもりで実は台湾の方から帰って参りました……」
二十三
「節ちゃん、鈴木の兄さんは袷《あわせ》を着ていらっしゃるようだぜ。叔父さんの綿入を出してお上げ。序《ついで》に、羽織も出して上げたら可《よ》かろう」
こう岸本は節子を呼んで言って、十年振りで旅から帰って来た人のために夕飯の仕度《したく》をさせた。よくよく困った揚句《あげく》に義理ある弟の家をめがけて遠く辿《たど》り着いたような鈴木の兄の相談を聞くのは後廻しとして、ともかくも岸本は疲れた旅の人を休ませようとした。しばらく家に泊めて置いて、その人の様子を見ようとした。十年の月日は岸本の生活を変えたばかりでなく、太一の父親が家出をした後の旧《ふる》い大きな鈴木の家をも変えた。そこには最早《もう》岸本の甥でもあり友人でもあり話相手ででもあった太一は居なかった。太一の細君も居なかった。そこには倒れかけた鈴木の家を興《おこ》した養子が居た。養子の細君が居た。十年も消息の絶えた夫を待っている岸本の姉が居た。太一の妹が居た。岸本が三番目の男の児はその姉の家に托してあった。
節子のことを案じ煩《わずら》いながら、岸本はポツポツ鈴木の兄の話すことを聞いた。台湾地方の熱い日に焼けて来た流浪者を前に置いて、岸本はまだこの人が大蔵省の官吏であった頃の立派な威厳のあった風采《ふうさい》を思出すことが出来る。岸本が少年の頃に流行した猟虎《らっこ》の帽子なぞを冠《かぶ》ったこの人の紳士らしい風采を思出すことが出来る。彼が九つの歳《とし》に東京へ出て来た時、初めて身を寄せたのはこの人の家であって、よくこの人から漢籍の素読なぞを受けた幼い日のことを思出すことが出来る。岸本がこの人と姉との側に少年の時代を送ったのは一年ばかりに過ぎなかったが、しかしその間に受けた愛情は幼い彼の心に深く刻みつけられていた。それからずっと後になって、この人の身の上には種々《さまざま》な変化が起り、その行いには烈《はげ》しい非難を受けるような事も多かった。そういう中でも、猶《なお》岸本が周囲の人のようにはこの人を考えていなかったというのは、全く彼が少年の時に受けた温い深切《しんせつ》の為で――丁度、それが一点のかすかな燈火《ともしび》のように彼の心の奥に燃えていたからであった。
岸本は七日ばかりもこの旅の人を自分の許に逗留《とうりゅう》させて置いた。その七日の後には、この落魄《らくはく》した太一の父親を救おうと決心した。
「節ちゃん、叔父さんは鈴木の兄さんを連れて、国の方へ御辞儀に行って来るよ」
岸本はその話をした後で、別に彼の留守中に医師の診察を受けるようにと節子に勧めた。節子はその時の叔父の言葉に同意した。彼女自身も一度|診《み》て貰いたいと言った。幸に彼女の思違いであったなら。岸本はそんな覚束《おぼつか》ないことにも万一の望みをかけ、そこそこに旅の仕度《したく》して、節子に二三日の留守を頼んで置いて行った。
二十四
実に急激に、岸本の心は暗くなって行った。郷里の方にある姉の家から帰って来る途中にも、彼は節子に言置いたことを頼みにして、どれ程《ほど》医師の言葉に万一の希望を繋《つな》いだか知れなかった。引返して来て見ると、余計に彼は落胆した。
「節ちゃん、そんなに心配しないでも可《い》いよ。何とか好いように叔父さんが考えて進《あ》げるからね」
こう
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