それを知って置いて貰いたいと思い、それでこの手紙を持って行って貰うことにしたと書いた。今更自分が仏蘭西《フランス》の旅に出掛けた当時の恥に満ちた心を申上げるまでもない、ここには主として節子に起って来た心の変化を申上げたいと書いた。自分がそれを知ったのは国を去って遠く行こうとする時からであったと書いた。自分はあの神戸の旅館で節子からの便《たよ》りを受取って見て、自分の旅の決意が彼女の心を動かしたことを知って、寧《むし》ろそれを意外に思ったと書いた。自分は仏国の港に着き、巴里《パリ》に着いた。旅にある自分の心は、節子をして一切の旧《ふる》い記憶から離れさせたい、自分のことなぞは忘れて貰いたい、そして彼女の身を立てることを考えさせたいというにあったと書いた。「お前はもうこの事を忘れてしまえ」と言ってよこしてくれた大兄からの便りを巴里の客舎で読んだ時は、余計にこの心を深くしたと書いた。それからの月日の間、節子からの便りを読む度《たび》、いかに自分は責められたろうと書いた。その度に自分は返事さえ出すことをしなかったのみか、なるべく直接に彼女に文通することを避け、用事ある時は、それを大兄に宛てて言い送るくらいにしたと書いた。それにも関らず、節子からの便りは続いた。一度絶えたと思った便りが復《ま》た続いた。彼女は長い三年の間自分に宛てて書くことを忘れなかったと書いた。漸《ようや》く自分の帰国の日が来た。旅は自分の生活を変えたばかりでなく物の考え方をも変えさせた。自分は独身を固守するつもりも無かった。自分自身結婚する考えでもあり、節子にもまた適当な配偶者を択《えら》んで結婚することを勧めるつもりであった。その心で帰って来て見ると節子は一度ならず二度までも憂鬱《ゆううつ》に沈むような人であったと書いた。自分の眼に映る節子は到底|今日《こんにち》の節子から思い比べることの出来ないほど衰え果てた人であったと書いた。自分が二度と彼女に近づいて見るように成ったのも、再婚の考えをひるがえすように成ったのも、自己《おのれ》の罪過の責を負おうと決意するように成ったのも、すべては皆彼女の破滅を傍観し得られなかったところから起きて来たことだと書いた。自分は蹉《つまず》きもし、失望もし、迷いもした。しかし大体に於《お》いて彼女を救おうとした自分の方針を過まらなかったつもりだと書いた。罪の深いところから出発した自分は、すくなくも自己《おのれ》に省みて疚《やま》しくないところまで彼女を導いたつもりだと書いた。自分等は罪で罪を洗い、過ちで過ちを洗おうとした、その結果として互に独身をちかったと書いた。節子には最早《もはや》家庭の人となる望みはなかろうと思うと書いた。彼女の願いは、覚束《おぼつか》ないながらも静かな宗教生活に入ることにあるだろうと思うと書いた。自分はすこしも彼女を拘束する考えは持たない、彼女の前途に幸福あれかしと願うの外はないと書いた。今になって見ると自分の為たこと考えたことは、帰国当時の心持からは大分|隔絶《かけはな》れたものであるが、しかし自分としてはこれより外に道の歩みようが無かったと書いた。猶《なお》、今日までの通り節子の生活は自分の方で保証する、それを自分の責任とも考えると書いた。それには輝子の手を煩《わずら》わすなり、為替《かわせ》に託するなりして、送金したいと思うと書き添えた。
復《ま》た復た岸本は筆を擱《お》いて嘆息してしまった。複雑し矛盾した心の経験は到底こんな手紙に尽しようが無かった。
百十八
渋谷の輝子は岸本の方から送った手紙を谷中まで届けに行った帰りだと言って、愛宕下《あたごした》の下宿へ立寄った。
「浦潮《ウラジオ》の姉さん」
何事《なんに》も知らない子供等は無邪気な声を掛けた。輝子は「渋谷の姉さん」としてよりも未だ「浦潮の姉さん」として子供等に喜び迎えられていた。
「一寸《ちょっと》父さんのところへ御使に来ましたから、その御用を済ましてしまって――それから後で」
と輝子は泉太や繁を言い宥《なだ》めた。岸本は湯をたやさずにある火鉢《ひばち》の側で輝子を迎えた。義雄兄の方からの返事を聞くまでは彼も落ちつかなかった。
「お父《とっ》さんが、いずれこの御返事は後から致しますッて――」
輝子は意味ありげに言って、更にきっぱりとした調子で、
「節ちゃんはもう叔父さんのところへお手伝いには上げませんから、そのお積りでいらっして下さい」
こう岸本に言った。輝子は、岸本が悪い顔でもするのを待受けるかのようにそれを言ったが、岸本の方ではもとよりそのつもりであった。
「それは承知しました」
と彼は簡単に答えた。
「それから、お父さんが叔父さんにそう言って下さいッて――『青くなったり、赤くなったりして、自分の為た事を書かなければ食えないかと思うと、御気の毒な商売だ』ッて、そう言って下さいッて――」
輝子を通して聞くこの兄の言葉をも岸本はそのまま受けて置いた。それよりも岸本は祖母《おばあ》さんのことを知りたかった。
「祖母さんにも話してくれたかね――」と彼が訊《き》いた。
「それですよ」と輝子はすこし肩を動《ゆす》るようにして、「祖母さんに黙って置いては悪かろうと思いまして、私から節ちゃんのことを話しました。どうして祖母さんは、悟でも開いたような顔をして、そんな話を聞いてもそれは平常《いつも》の通りでしたよ……叔父さんの御手紙は私も拝見しましたがね、何にしても可哀そうなものは節ちゃんです。子供があると、なかなか忘れられないものだそうです」
こう言って輝子は笑った。彼女はもうこんな話をしたくないという風で、取返しのつかない叔父の懺悔から親戚同志の楽しい平和が破られた事を哀《かな》しむように見えた。こうした場合の輝子は言うだけのことを言っても、その後から直に彼女の涙もろい性質を見せた。
「どれ、御用はこれで済みました――君ちゃんも姉さんの側へいらっしゃい」
と輝子は次の部屋に遊んでいる君子を呼んで、大人同志の気まずい心持を子供の方へ避けた。
独りになってから岸本は節子に宛てて誰に見せても差支《さしつかえ》の無い手紙を送った。それには義雄兄の方へ書面を出して自分の立場を明かにしたこと、しばらく御無沙汰《ごぶさた》すること、祖母さんはじめ目上の人達へ奉仕の心を励んでくれということなぞを簡単に書いて送った。その翌々日、彼は節子からの返事を受取って見て、父の心はとけない、しかし自分は漸く少し楽な心持に成った、ほんとに勉強したいような気も起って来たから安心してくれという意味の言葉を見つけた。その返事の中には、「お父さんのところへ最初の御手紙の参りました時にも、私には見せませんで、自分で何かお書きになって、台湾の伯父さんの許《ところ》へ出しました」ともしてあった。「布施さんから復た葉書が参りました。先日の御手紙は拝見した、その事につき御面談申上げたいことがあるから近日お伺いすると言って参りました――好い加減にして下されば好いのにね」ともしてあった。それを見て岸本は、義雄兄や輝子の間には未だ節子の縁談の続いていることを知った。
百十九
[#ここから1字下げ]
「噫《ああ》、万事休す。われに断腸の思いあり。足下は自己を懺悔すと称《とな》えながら、相手方の生活を保証することによって不徳を遂行せんとするの形跡あるは言語道断なりと言うべし。吾娘はわれに於いて処分するの覚悟を有す。敢《あえ》て足下の容喙《ようかい》を許さず。
ここに涙を振《ふる》って足下を義絶す。
[#地から2字上げ]岸本義雄
岸本捨吉殿
猶、子供は罪なきものなれば、泉太、繁二子が時々の来訪を許す。
世の中の善きも悪《あ》しきも知れる身のなど踏み迷ふ人の正みち」
[#ここで字下げ終わり]
義雄は輝子を使として、これを岸本の許へ持たせてよこした。いずれ返事をすると義雄の方から前触《まえぶれ》のあったのがこれだ。
輝子は父の封書を岸本の前に置いたまま、直ぐに座をはずした。彼女は離座敷《はなれ》の廊下の方へ起《た》って行って、しばらく障子の外に立ちつくした。やがて岸本がその絶交状を読んでしまった頃を見計らって、復た彼女は叔父の居るところへ引返して来た。
「お前のお父《とっ》さんのところからこういうものが来た」
岸本はそれを輝子に言って見せたぎりで、大判の奉書に兄自身筆を執って眼病後の人らしく大きく書いてある手紙を巻き納めた。
「叔父さんの親切にして下さるのが、反って節ちゃんには身の仇《あだ》ですよ」
この輝子の言葉が岸本の沈思を破った。輝子はさも迷惑顔にそれを言ったが、岸本の方では別にその事について何も言おうとはしなかった。彼は自分で茶を入れて、使に来た輝子をねぎらうようにした。
輝子が帰って行った後、岸本は兄の書いたものを読み返した。その手紙の終に諷諭《ふうゆ》の意を寄せたらしく書き添えてある兄の三十一文字《みそひともじ》を繰返して見た。
「世の中の善きも悪しきも知れる身のなど踏み迷ふ人の正みち」
岸本は兄の非難と、長いこと自分の考え苦しんで来た心持とを思い比べた。彼はそう思った。成程、兄の非難することは以前の自分にも赦《ゆる》しがたい罪悪と考えられた。それはまたこの世に成就しがたいことでもある。しかし自己《おのれ》に顧みて疚《やま》しくないところまで行ったものであったら、仮令《たとえ》この世に成就しがたいことでも、一概にそれを罪悪とは考えられないと。これほど岸本は兄と意見が違うばかりでなく、以前の自分とも違って来た。彼は唯黙ってこの手紙を受けて置いた。懺悔の内容そのものが彼には答の一切であった。
義雄は一方に岸本を絶交し、一方には節子に結婚を勧めようとした。そのことを岸本は節子からの手紙で読んだ。節子は岸本に宛てて書いた中に、別に父に与えた手紙をも同封してよこした。その二通の手紙にざっと眼を通して見た後で、岸本は彼女が父に与えたという方を読返して見た。
[#ここから1字下げ]
「先日の御説確かに拝聴|仕《つかまつ》り候《そうろう》。父上の論法より推す時は、あるいはそこに到着するやも計られず候。されど、百万遍の迷《まよ》い言《ごと》何の益《えき》なけれど聞いてつかわすべしとの仰せを幸《さいわい》、おのが心事を偽らず飾らず唯《ただ》有りのままに申し上ぐべく候。
――先《ま》ず申上げたきは親子の間に候。親の命に服従せざるごときは人間ならずとは仰せられ候えども、そは余りに親権の過大視には候わずや。斯《か》く言えばいたずらに親を軽視するものとの誤解も候わんなれども、決して決してさる意味にて申上るにはこれなく候。何事も唯々諾々《いいだくだく》としてその命に従い、あるいは又、内部に反感等を抱《いだ》きながら表面には唯これに従うごときは、わが望むところにはこれなく候。生命ある真の服従こそわが常の願いに候。思想の懸隔に加えて、平生の寡言《かごん》のため、これらを言い出ずる機会もなく今日に至りしものにこれあり候。
――自己の過ちを悔いもせず改めもせで、二度《ふたたび》これを継続するがごときは禽獣《きんじゅう》の行為なりと仰せられ候。まことに刻々として移り行く内部の変化を顧みることもなく、唯外観によりてのみ判断する時は、あるいは世の痴婦にも劣るものとおぼさるべく候。すべてに徹底を願い、真実を慕うおのが心のかの過ちによりて奈何《いか》ばかりの苦痛を重ねしか。そは今更|云々《うんぬん》致すまじ。最後の苦汁の一滴まで呑《の》み乾《ほ》すべき当然の責ある身にて候えば。されど孤独によりて開かれたるわが心の眼は余りに多き世の中の虚偽を見、何の疑うところもなくその中に平然として生息する人々を見、耳には空虚なる響を聞きて、かかるものを厭《いと》うの念は更に芭蕉《ばしょう》の心を楽しみ、西行《さいぎょう》の心を楽しむの心を深く致し候。わが常に求むる真実を過ちの対象に見出したるは、一面より言えば不幸なるがごとくなれど、必ずしも然《さ》らで、過ちを変
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