フ人として考えもし、取扱ってもやることが、自己を重んじさせることであろうというような考え方と、大人を全能の神のように思わせようとして催眠術をかけて置きたいという考え方と、両立しよう筈《はず》がございません。そしてその催眠術を廃するには、わたしはあまりに根深く所謂《いわゆる》罪人でございましたのね。それにもう一つは、叔父さんからお預りした幼い人達なり、自分の弟なりで、真実の親子でなければ通じないようなところが無いでもございませんでした。これは自分のものだから、他《ひと》のだから、などというそんな考えからでなく、どうすることも出来ないものだろうかとも思います。――今の叔父さんは随分お骨の折れることと思います。けれども、それは一歩《ひとあし》ごとにお互いの心が近づいて行くことなのでございますから、子供の上にもしばらくの動揺はありましょうとも、きっと心からの感謝と信頼の情とをもって、向日葵《ひまわり》の花のように光のなかにあゆむことが出来ると堅く信じます。そう云うものを持つことの出来る方を御羨《おうらや》ましくも思います……」
節子はこういう手紙を愛宕下の宿|宛《あて》に送ってよこした。彼女は自己《おのれ》の失敗を語ることによって、男の手一つに子供を育てて行こうとする岸本を慰めてよこした。
岸本がこの手紙を受取ったのはもう大分下宿に沈着《おちつ》いた頃であった。何故彼が好んでこんな生活を始めたか、その深い事情は節子一人より他に知るものが無かった。幾度《いくたび》となく彼は義雄兄の前に、この下宿まで辿《たど》り着いた自分の道筋を――節子と自分との一切の関係を打明けようと思い立たないでは無かった。
「お前達は叔父と姪《めい》ではないか。お前達の為《す》ることは結局不徳の継続ではないか」
兄の答えを想像するとこの言葉に尽きていた。そう思う度に岸本は嘆息して、持前の沈黙に帰って行った。
八十七
愛宕下の下宿には何一つ岸本が巴里《パリ》の下宿生活を偲《しの》ばせるような似よりのものは無かった。プラタアヌの並木の映る窓のかわりに、ここには庭の青い松葉なぞの見える障子がある。モン・パルナッス通いの電車の音や大きな荷馬車の音やその他石造の街路から窓の硝子《ガラス》に伝わって来る恐ろしい町の響のかわりに、ここには町中と言っても静かな母屋《おもや》の二階と階下《した》とから庭をへだてて聞える客の話声や煙草盆の音がある。「お支度《したく》が出来ました」と言っては食事の時|毎《ごと》に部屋の扉《と》を叩《たた》きに来る仏蘭西《フランス》の家婢《かひ》のかわりに、ここには御膳《おぜん》や飯櫃《おはち》を持って母屋の台所の方から通って来る女中がある。寝台や蝋燭台《ろうそくだい》から洗面器まで置いてある部屋の片隅《かたすみ》の壁の上に掛ったソクラテスの最後の図なぞのかわりに、ここには長押《なげし》の上の模様のような古い扇面を貼《は》りまぜた横長い額がある。すべてが懸絶《かけはな》れていた。それにも関《かかわ》らず、岸本は巴里の下宿生活の記憶をここへ来て喚起《よびおこ》そうとした。あの異郷の旅窓で独《ひと》り学芸に親しんだように、今またこの離座敷《はなれ》の障子の側に机を寄せて帰国以後とかく仕事も手に着かなかった一年の月日を取返そうとした。秋までに彼は旅行記の稿を継ごうとする心があった。そのために専心机に対《むか》おうとすることから言っても節子を通してちょいちょい聞えて来る義雄兄の嫌味《いやみ》を避けようとすることから言っても、彼はしばらく節子から離れていようと考えるように成った。
下宿へ移って一月あまり経《た》つ頃に、節子は暑さの見舞をかねて例の鉛筆で走り書に書いた手紙を送ってよこした。先日伺った時も、お髭《ひげ》の延びたせいばかりでなく、何だかお痩《や》せに成ったようで、自分は大変済まないことをしているような気がする、何から何まで御一人に御心配をかけて、と書いてよこした。自分もこの前伺った二三日前から少し弱っていたので、昨日は父の御供をして病院から帰りかける途中で歩かれなくなってしまった、尤《もっと》も無理に押して出掛けたことではあったが、半分夢中で谷中の家に帰り着くことが出来たと書いてよこした。こんな場合につけても叔父さんのことを思い出す、自分が我儘《わがまま》の言えるのは叔父さんと共にある時ばかりだと書いてよこした。自分の今の境遇も辛《つら》いと書いてよこした。そういえば今夜は七夕《たなばた》だ、去年の今頃はどんなに旅から帰る叔父さんを待受けたろう、いくら自分ばかり織女を気取ってもその頃の叔父さんは未だ牽牛《けんぎゅう》では無かったなぞとも書いてよこした。すこし身体の具合が悪くなったからもう止《や》める、これを受取ってくれる頃は、あるいは丁度去年あの漸くお目に掛って、うれしいとも悲しいとも名のつけようの無い心持を味《あじわ》っていた頃かも知れないと書いてよこした。
こういう節子の手紙は、折角離れていようと思う岸本の心を彼女の方へと巻き込まずには置かなかった。どうかすると、その手紙の中には、「織女を恐《こわが》っている牽牛なんて有りませんね」などとした初心《うぶ》な調子で書いたところも有った。その節子の初心なところが彼女の若いことを証拠立てていて、反《かえ》っていじらしく岸本の心に絡《まと》いついた。
下宿に移ってからの岸本は、子供の身の辺《まわり》の世話から言っても、女の手を煩《わずら》わしたいと思うことが多かった。その意味から言っても高輪の方に暮した時と同じように土曜日|毎《ごと》に来る節子が彼に取っては可成《かなり》の手伝いに成った。しかし彼は暑中の間、節子に通って来て貰《もら》う度数を減そうとした。月に二度しか彼女を見ないことにした。どうかして彼はもっと自分の精神《こころ》の動揺が沈まるのを待とうとした。
八十八
岸本は節子に珠数《ずず》を贈った。幾つかの透明な硝子の珠《たま》をつなぎ合せて、青い清楚《せいそ》な細紐《ほそひも》に貫通《とお》したもので、女の持つ物に適《ふさ》わしく出来ていた。彼が移り住んだ下宿の界隈《かいわい》は増上寺を中心にした古い寺町で、そういうものを容易《たやす》く手に入れられるような位置にもあった。価も安く求められたのであった。
この簡素な、しかし心を籠《こ》めた贈物はひどく節子を悦《よろこ》ばせた。彼女がそれを納めて帰ったのは七月の半ば頃に愛宕下へ訪《たず》ねて来た時で、丁度岸本もしばらく彼女から離れているくらいにして旅行記の稿を継ごうとしていた頃であった。後でよこした彼女の手紙の中には、大変好い物を貰った、谷中へ帰ってからも幾度となくそっと掛けて見たということが書いてあった。いずれ自分も男持に出来たのを探して、この返礼としたいとも書いてあった。岸本はその節子を谷中の家の二階の三畳に置いて想像するのを楽みに思った。覚束《おぼつか》ないながらも宗教へと辿《たど》り行こうとしている彼女の手箱の中に、自分の贈った熱い思慕のしるしを置いて考えるのも楽みに思った。
その時の節子の手紙は珠数の礼ばかりではなかった。彼女は岸本の苛々《いらいら》とした沈黙を彼女自身に対する何かの不満という風に釈《と》って書いてよこした。年齢の相違、智識の相違――そういうものから来る叔父さんの不満は自分にもよく分るということがその手紙の中に書いてあり、気のつかないうちに自分は何時《いつ》の間にか堅くなっていたのかも知れない、言うことがあるなら何事も遠慮なく言ってくれということなども書いてあった。
「節ちゃんは何を釈り違えて行ったんだろう。自分はそんなつもりでいるんじゃ無い」
と彼は言って見たが、こういう狭い女の胸から出て来るような言葉が、不思議とまた彼女の方へ岸本の心を巻き込む力を持っていた。彼はそう思って嘆息した。学問や芸術と男女の愛とは何故こう両立し難いのだろうと。そういう時の彼の胸にはよく「愛と智慧《ちえ》とに満ちたアッソシエ」の言葉が浮んで来る。「アッソシエ」とは生涯の伴侶《はんりょ》という意味に当る。そこまで行くということは容易でないまでも、すくなくも彼が節子と共に辿り着きたいと願うところは、多分に「友情」の混った男女の間柄であった。二人が愛情の生《お》い立ちから言っても、これから将来のことを考えても、彼の心は抑《おさ》えに抑えたものであらねば成らなかった。
しかし、岸本の眼にある節子は最早《もはや》以前の節子ではなかった。長いこと寂しかった彼の生涯に一輪の花をつけたような節子は最早映像としても全く別の人であった。驚くばかり彼女の身体に延びて来た線、悩ましいまでに柔かく女らしい彼女の表情――彼はそれらの眼にあるものを払いのけて自分の机に対《むか》っていることが出来ないばかりでなく、「淋《さび》しくて淋しくてお写真を抱いて呼んでいましたのよ」というような彼女の声を払いのけることも出来なかった。自分から節子のために珠数を見立てて贈ったほどの岸本は、この断ちがたい愛着をどうすることも出来なかった。彼はあの深い雪の中に坐ってまでも「自然」を超えようとした人の努力などを想像して見て、それによって自分を励まそうとした。国に帰ってからの二度目の大暑が復《ま》たやって来て見ると、熱のために蒸されるものは庭先の草木ばかりでは無かった。彼は烈《はげ》しい恋の情に燃えて一週間ばかり仕事も手につかなかった。
八十九
節子は弟を連れて七月の末に岸本の下宿へ訪ねて来た。丁度学校の暑中休暇が始まった頃で、その季節に一郎を迎えることは泉太や繁に取っても嬉しそうであった。同宿の青年が台湾の方へ帰省したことはややその夏を淋しくしたが、それでも子供等に取っては一年の中の最も楽しい時であった。
子供等は離座敷《はなれ》の縁先に集まって、節子|姉弟《きょうだい》が一鉢《ひとはち》ずつ提《さ》げて来てくれた朝顔を見ていた。岸本もその花のすがたを見に行って、それから部屋の方へ二人の子供を呼んだ。
「泉ちゃんも、繁ちゃんも、お出で。今日は一ちゃんが来たから、お前達も着物を着更《きか》えましょう」
岸本はこんなことを言って子供の世話をするのに大分もう慣れて来た。二つ違いの兄弟とは言っても泉太と繁とは殆《ほとん》ど同じ丈《たけ》の着物で間に合った。二人の子供は父がそこへ取出したのを附紐《つけひも》のしるしで見分けて、思い思いに着た。節子はまたその側へ寄って、子供等の脱ぎ捨てたものを畳んだり、部屋の隅《すみ》に片附けたりした。
「節ちゃん、お前も着更えないかね」
と岸本は言って見た。
この下宿へ移ってから、岸本は節子のために一枚の着更《きがえ》を用意して置いた。彼女が谷中から通って来る途中の暑さを思う心から、特に女の身体に合うように仕立てさせて置いたものであった。その涼しそうな単衣《ひとえ》に着更えて岸本と共に時を送って行くことを彼女は何よりの楽しみにしていた。
その日は節子は躊躇《ちゅうちょ》した。それを岸本も看《み》て取って、
「それもそうだね。今日は一ちゃんと一緒だね」
と言い直した。
節子は風呂敷包を持って岸本の居間の方へ来た。彼女は膝《ひざ》の上でその風呂敷包を解いて、岸本から贈った珠数の返礼を取出して見せた。
「好いのがありましたよ」
と言いながら節子が岸本の前に置いたのは、紐の色からして茶色に、さも男の持つ珠数らしく出来ていた。彼の方から贈ったものに比べると、珠《たま》のかたちも大きく、色も黒かった。
子供等は何事《なんに》も知らなかった。唯三人の揚げる声が庭にある無花果《いちじく》の樹の下あたりから楽しそうに聞えて来ていた。岸本は節子が人知れず苦心してそういうものを見つけて来てくれたその心づかいを先《ま》ず嬉しく思った。
「どうだろう、俺に似合うだろうか」
と岸本は笑いながら節子に言って見せた。掌《てのひら》の上に載せて見た珠と珠の触れる音すら、何となく彼の耳に快
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