め》の降り続いた後の日に、曾て岸本がこの墓地へ妻を葬りに来た当時の記憶は、復《ま》た彼の眼前《めのまえ》に帰って来た。その時は園子を葬るというばかりでなく、三人の女の児の遺骨をも母と同じ場所に移し葬ろうとした。寺男が掘った土の中には黄に濁った泥水が湧《わ》き溢《あふ》れていた。寺男は両手を深くその中に差入れたり、両足の爪先《つまさき》で穴の隅々《すみずみ》を探ったりして、小さな髑髏《どくろ》を三つと、離れ離れの骨と、腐った棺桶《かんおけ》の破片《こわれ》とを掘出した。丁度八月の明るい光が緑葉《みどりば》の間から射《さ》し入って、雨降|揚句《あげく》のこの墓地を照らして見せた。蒸々とした空気の中で、寺男は汚れた額の汗を拭《ぬぐ》いながら、三つの髑髏の泥を洗い落した。その中で一番小さく日数の経《た》ったのは頭や顔の骨の形も崩《くず》れ、歯も欠けて取れ、半ば土に化していた。一番大きなのは骸骨《がいこつ》としての感じも堅く、歯並も揃い、髪の毛までもいくらか残って、まだ生々《なまなま》とした額の骨の辺に土と一緒に附着していた。それが泉太や繁の姉達だ。そして、その時働いてくれた寺男が今彼等の墓の前に樒を飾ったり線香を立てたりしてくれたその老爺《じいさん》だ。
鼻を衝《つ》くような惨酷な土の臭気《におい》を嗅《か》いだその時の心の経験の記憶は、恐らく岸本に取って一生忘れることの出来ないものだ。過ぐる年月の間の恐ろしいたましいの動揺。その動揺は妻の死から引続いて起って来たというばかりでなく、実はそれよりもずっと以前に萌《きざ》して来たことが辿《たど》られる。一番小さい幹子の死、続いて五歳になる菊子の死、更に七歳になる富子の死、彼はその三人を一年の間に失った。その頃の彼は、終《しまい》にはもうこの墓地を訪《たず》ねることすら出来なかった。稀《たま》に彼の足がこの寺へ向いても、彼は自分の行く方角を考えて見たばかりでそこへ倒れかかりそうに成るくらいであった。
こうしたことを胸に浮べながら寺の庫裏《くり》の前まで引返して行った頃に、岸本は自分の側へ来て訊《き》く子供の声に気がついた。
「父さん、今日はこれッきり?」
と泉太は物足らないような顔付をして言った。
「これッきり? これがお墓参りじゃないか」と岸本は笑いながら言って見せた。「今日はお前、遊びに来たんじゃ無いじゃないか」
三十五
しばらく寺の庫裏にも時を送って、やがて境内の敷石づたいに門の外へ出た頃は、八月の日の光がもう大久保の通りへ強く射して来ていた。
眼に見えない混雑は岸本の行く先にあった。何故かと言うに、こんな墓参りなぞに節子を連れて来たからで。岸本は黙って歩いた。節子も黙って歩いた。二人の沈黙を破るものは唯子供等の間に起る快活な笑声であった。岸本は節子や子供等を休ませるために往《い》きに節子が寄って花を買った家の附近を探した。その辺には旗の出ている小さな氷店ぐらいしか見当らなかったが、そんな店も、新開の町も、以前岸本が住んだ頃の大久保には無いものであった。
泉太や繁は父と一緒にその店先に腰掛けて、氷の削られる涼しそうな音を聞くだけでも満足した。
「一ちゃん、氷が来ました」
岸本は氷の盛られたコップを一郎にも勧め、泉太や繁にも分けた。
「泉ちゃん、氷レモンだぜ。父さんも奢《おご》ったねえ」と繁はコップを手にして言った。
「ああ好い香気《におい》だ」と泉太も眼を細くして、手にした匙《さじ》でコップの中の氷をさくさく言わせた。
「節ちゃん、氷は?」と岸本が訊《き》いた。
「すこし頂《いただ》きましょうか」と節子は答えて、人一倍皮膚の感覚の鋭くなっているような病のある手を揉《も》んで見せた。
節子は叔父に対して言葉が少いばかりでなく、弟の一郎に対しても少かった。陽気で話好きな姉の輝子に思い比べたら、以前からして彼女は物静かな言葉の少い方の性質の人であった。でも、これほど黙ってしまった人では無かった。その日のように冴《さ》え冴《ざ》えとした眼と、物も言わない口唇《くちびる》とは、延びよう延びようとして延びられない彼女の内部《なか》の生命《いのち》の可傷《いたま》しさを語るかのようでもあった。
墓参りも岸本に取っては帰国後の訪問の一つであった。訪ねられるだけ人を訪ねて見たいと思うその心持から言えば、まだまだ彼は思うことを始めたばかりだ。しかしこの墓参りを一切りとして身体《からだ》を休めたいと考えるほど、人知れず制《おさ》えに制えて来た激しい疲労を感じていた。氷店の直《す》ぐ外まで射して来ている日あたりを眺めて、余計に彼は休息を思うようになった。
帰路《かえりみち》に向う子供等を送るために、岸本はそこまで一緒に歩くことにした。彼は往きよりも帰りの節子のことを気遣《きづか》った。まぶしい日光は彼でさえ耐え難かった。彼は節子をいたわりいたわり往きと同じ新開の町を新宿の近くまでも送って行った。時には彼の方から、不自由な境涯にある節子の要求を聞いて見ようとして、一緒に歩きながら話しかけるような場合でも、節子ははかばかしい答えさえもしなかった。彼女は唯無言のまま、過ぐる三年の間のことを思出し顔に暑い日の映《あた》った道をひろって行った。
「どうかして、この人は救えないものかなあ」
その心で岸本は別れて行く節子を見送った。長いこと彼は一つところに立って、三人の子供の後姿や動いて行く節子の薄色の洋傘《こうもり》を見まもっていた。
三十六
泉太や繁の暑中休暇は、それから一月ばかり続いた。その間には大暑がやって来た。耐えがたい疲労が今度は本当に岸本の身に襲いかかって来た。もう一切を放擲《ほうてき》させる程の力で。高輪の家の蒸暑い夏の夜なぞは彼は奥の部屋の畳の上に倒れて死んだように成っていることもあった。
国へ帰って初めてのこの暑さは、岸本が倫敦《ロンドン》出発以来の長い船旅から持越した疲労を引出したばかりでなく、どうかすると三年の仏蘭西《フランス》の旅の間知らない人の中で殆《ほとん》ど休みなしに歩き続けて来たようなその疲労までも引出しそうに成って行った。張り詰めた神経の急激な静止と休息とから、彼の内部《なか》に潜んでいたものは一時《いっとき》に頭を持上げて来た。そして激変した土地の熱の為に蒸されるように成った。
何となく岸本の心は静かでなくなって来た。何と言っても同じ悲しい記憶に繋《つな》がれているような節子の為《す》ること成すことは彼の上に働きかけた。不思議な低気圧が節子に来た時、それが幾日となく続きに続いた時、仮令《たとえ》彼にはあの節子の苛々《いらいら》とした様子が見ていられなかったとは言え、彼は与えるつもりも無い接吻《せっぷん》なぞを与えたことを悔いた。三年の抑制と自責とは、彼をより強いものにしないで、反《かえ》ってより弱いものにして行くかのようにさえ疑われて来た。世にも不幸な女と共に、どうやら彼はもう一度|試《ため》されそうに成って行きかけた。
ある日、岸本はその界隈《かいわい》に自分だけ勉強の出来るような部屋でも貸すところがあらばと思って、それを見つけるつもりで家を出た。二家族のものを合せて九人も同じ屋根の下に住む今の家では、旅から持って来た書籍の類を整理する気にも成れなかった。おまけに子供は多し、どうしても彼には仮の書斎を見つける必要が起って来た。町の空へ出て見ると、広い世界を遍歴して来た旅行者の誰しもが経験するような、旅の与えた心持がまだ彼には薄らいでいなかった。その心持は、自分の国を見るのにあだかも外国を見るような感じを抱かせる。どうかすると彼はまだまだ海にでも居るような気がする。上陸して二箇月ばかり何処《どこ》かの土地に滞在するに過ぎないような気がする。彼の心はまだ南|阿弗利加《アフリカ》のケエプ・タウンへも行き、ダアバンへも行き、あのマレエ人や印度《インド》人や支那《しな》人なぞの欧洲人と群居する新嘉坡《シンガポール》あたりの町へも行った。時々彼は自分で自分の眼を疑った。何故というに、そこいらを歩いている女の人が、それが実際日本の女ではなくて、マレエ半島あたりの土人の女ではないかという気を起させるのだから。こうした眼に映る幻影は、旅から疲れて帰って来た彼自身の内部《なか》の光景《ありさま》と不思議に混り合った。彼はあの眼に見えない牢獄《ろうごく》を出る思いをして巴里《パリ》の下宿を離れて来た自分と、もう一度節子に近づいて見た自分と、その間には何の関係があり何の連絡があるかとさえ驚かれるくらいに思って来た。これでも自分は国へ帰って来たのかしらん、そう考えた時は茫然《ぼうぜん》としてしまった。
三十七
岸本は家の近くに二間ある二階を借りた。九月のはじめからそこを仮の書斎として、食事の時と寝泊りする時とには家の方へ通った。彼の子供の中には毎晩よく眠っているのを呼び起さねば成らない習慣のついたものがあった。彼はその子供を呼び起す役目が義雄兄の家族に取って可成《かなり》の苦痛であったことを発見した。どうしてもこれは他人の手を煩《わずら》わすべきことで無い。その考えから彼は北向の部屋に親子三人|枕《まくら》を並べ、大きくなれば自然に治《なお》る時もあるという少年時代の習慣のついた子供を側に寝かせて、なるべく嫂《あによめ》達に迷惑を掛けまいとした。丁度義雄兄は郷里の方へ出掛けて留守の時であった。節子は叔父の骨の折れるのを見兼ねたかして、子供を呼び起しに来てくれたことがあった。その日から両人《ふたり》の間の縒《よ》りが戻ってしまった。
例の二階の方へ行く度に、時々岸本の頭脳《あたま》の内《なか》はシーンとしてしまった。同時に彼の耳の底にはこういう声が聞えた。
「お前はほんとうに人を憐《あわれ》んだことがあるか。もう一度夜明を待受けるようにして旅から帰って来たお前の心は全体の人の上に向っても、お前の直ぐ隣に居る人の上には向わないのか。お前の眼にはあの半分死んでいる人が見えないのか。その人を憐まないで、お前は誰を憐むのだ」
一度恐ろしい火傷《やけど》をした悲痛な経験のあるものが今一度火の中へ巻き込まれて行った。岸本が、節子に対する関係は丁度それによく似ていた。しかし彼はもう以前の岸本では無かった。独身を一種の復讎《ふくしゅう》と考えるほど、それほど女性を厭《いと》い悪《にく》むものでは無かった。二度と同じような結婚生活を繰返すまいとし、妻の残した家庭を全く別の意味のものに変えようとし、際涯《はてし》無く寂寞《せきばく》の続く人生の砂漠《さばく》の中に自然に逆ってまでも自分勝手の道を行こうとしたような、そうした以前の岸本では無かった。彼は神戸に着く晩は眠るまいと思うほどの心でもって遠くから故国の燈火《ともしび》を望みながら帰って来たものだ。陸の上に倒れ伏し、懐しい土に接吻したいとさえ思うほどの心でもって長い旅から草臥《くたび》れて帰って来たものだ。
深い哀憐《あわれみ》のこころが岸本の胸に湧《わ》いて来た。そのこころは節子を救おうとするばかりでなく、また彼自身をも救おうとするように湧いて来た。
三十八
節子を憐めば憐むほど、岸本は事情の許すかぎり出来るだけの力を彼女のために注ごうとするようになった。彼が現に負いつつある重荷も、義雄兄夫婦や祖母《おばあ》さんへの礼奉公も、すべては彼女のためと考えるように成った。何よりも先《ま》ず彼は節子の身から養ってかからせたいと考えた。彼女の虚弱、彼女の無気力は、雑草の蔓《はびこ》るに任せた庭のように、あまりに関《かま》わずにあるところから来ていると考えたからで――止《や》むを得ない家庭の事情から言っても、人を憚《はばか》りつづけて来たような彼女自身の暗い境遇から言っても。
岸本はまた親掛りでいる節子に働くことを教えようとした。今まで通りにして暮して行くにしても、すくなくも彼女のために自活の面目の立てられる方法を考えてやりたいと思った。それに
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