ォくて、めずらしいくらいだったよ。そう、そう、よくお前達からお手紙なぞも貰ったっけね」
 こうした父の話を聞くよりも、二人の子供は各自《めいめい》そこへ取出して来たものを父に見せようとした。その子供らしい悦《よろこ》びを父にも分けようとした。
「どれ、その帳面をお見せ。仏蘭西風の黒い表紙なぞが附いてて、好い帳面だナア。この帳面と色鉛筆は父さんが巴里《パリ》で買って来たんだよ。お伽話《とぎばなし》の本もあるね。英吉利《イギリス》のお伽話だ。その方は父さんが倫敦《ロンドン》で見つけて来た。二人とも大切にして納《しま》って置くんだぜ」
「なんだかこの本はむずかしくて読めやしない」と繁が言った。
「そりゃ英語だもの」と泉太は弟の方を見た。
「でも、好いやねえ。絵がついてるからねえ」と繁は受けて、「父さんは僕の本にも書いてくれた。一つ読んで見るかナ。『旅より帰りし日――父より――繁へ』」
 読む繁も聞く泉太も二人とも噴飯《ふきだ》してしまった。その時、泉太の方は何か思出したように、
「父さんは好いナア」
「どうして?」と岸本が訊いた。
「だって、独《ひと》りで仏蘭西の麺麭《パン》なんか食べて――」
「独りで? お前達を連れてくわけに行かないじゃないか」
「父さんは何しに仏蘭西へ行ったの――」
 この泉太の問には、岸本も詰ってしまった。屋外《そと》の方では遽《にわか》に蛙《かわず》の鳴出す声が聞えた。岸本は子供等の顔を眺めながら、旅の空では殆《ほと》んど聞かれなかった蛙の声に耳を澄ました。三年も見なかった間に可成《かなり》な幹になった庭の銀杏《いちょう》へも、縁先に茂って来た満天星《どうだん》の葉へも、やがて東京の夏らしい雨がふりそそいだ。
        二十七
 二人の子供は更にお清書だの図画だのを取出して来て岸本に見せ、岸本が旅から送ってよこした絵葉書なぞをもそこへ並べて見せた。
「へえ、リモオジュの絵葉書があるね。これは泉ちゃんのところへ送ってよこしたんだね。よくそれでもこんなに失《な》くならないで残っていたね」
 と言いながら、岸本は子供等と一緒に仏蘭西《フランス》の田舎《いなか》の絵葉書を眺《なが》めた。曾《か》つて二月半ばかりを暮して見たリモオジュの町はずれ、羊の群の飼われている牧場、見覚えのある手前の方の樹木から遠く岡の上に立つサン・テチエンヌの寺院の高い石塔までが、その絵葉書の中にあった。丁度その図面にあらわれているのも岸本が旅で逢《あ》ったと同じ季節の秋で、よく行って歩き廻ったヴィエンヌ河の畔《ほとり》の旅情を喚起《よびおこ》すに十分であった。
「父さん。ここにお船の絵葉書もあるよ」
 と言って繁が出すのを岸本は手に取って見て、
「これは父さんが往《い》きに乗って行ったお船だ。父さんはお前、こういうお船で遠い国の方へ行って来たんだぜ」
「そんなに遠い?」
「お前達は海を見たことがあるかね」
「品川へ行けば海が見える」と繁が答えた。
「僕は鎌倉へ修学旅行に行った。あの時に海を見て来た」と泉太は言った。
 どんな海の向うにこの子供等の知らない国があるかということは、岸本には一寸《ちょっと》それを言いあらわすことが出来なかった。
 泉太も繁も、真黒に日に焼け汐風《しおかぜ》に吹かれて来た父の顔を見まもっていた。この子供等を側に置いて岸本は自分の遍歴して来た港々の奇異な土人の風俗や、熱帯の植物や、鰐《わに》、駝鳥《だちょう》、山羊《やぎ》、鹿《しか》、斑馬《しまうま》、象、獅子《しし》、その他どれ程の種類のあるかも知れないような毒蛇や毒虫の実際に棲息《せいそく》する地方のことを話し聞かせた。
「ホウ。鯨。鯨」
 と二人の子供は互に言い合って、まるでお伽話《とぎばなし》でも聞いているような眼付をしながら、鯨の捕《と》れたのを見て来たという父の旅の話なぞに耳を傾けた。
 まだ岸本は海から這《は》い上って来たばかりの旅行者のような気もしていた。彼の心は還《かえ》りの船旅に通過した赤道の方へも行き、無数な飛魚《とびうお》の群れ飛ぶ大西洋の波の上へも行った。十字架の形をすこし斜に空に描いたような南極星も生れて初めて彼の眼に映じたものであった。暗い海を流れる青い燐《りん》の光も半ば夢の世界の光であった。倫敦《ロンドン》を出発してから喜望峰《きぼうほう》に達するまで、彼は全く陸上の消息の絶え果てた十八日の長い間を海上にのみ送って来た。船は南|阿弗利加《アフリカ》ダアバンの港へも寄って石炭を積んで来た。新嘉坡《シンガポール》に近づく頃望んで来たスマトラの島影、往きに眺め還りにも眺めた香港《ホンコン》の燈台、黄緑の色に濁った支那《しな》の海――こう数えて来ると実に数限りも無い帰国の旅の印象が彼の胸に浮んで来た。
        二十八
 実に突然に、節子は沈んでしまった。それは岸本が来訪の客のいくらか少くなったのを見計らって自分の方から毎日訪問の為に出歩いている頃であった。折角元気づいて働いていた節子が何故そんなに急に鬱《ふさ》いでしまったのか、何が面白くなくてまるで萎《しお》れた薔薇《ばら》のように成ってしまったのか、さっぱり岸本には訳が分らなかった。
「節ちゃんはどうしたというんだろう」
 と彼は独《ひと》りで言って見て、あまりに急激に変って来た彼女の容子《ようす》に驚かされた。
 何か節子は義雄兄から叱《しか》られたことでもあるのか。岸本の見るところでは、別に何事《なんに》も家の内には起っていなかった。何か彼女は母親の仕向けを不満にでも思うことがあるのか。別にそんな様子も見えなかった。
「きっとこういう調子で、自分の留守の間にも姉さん達を困らせたんだろう」
 と復《ま》た言って見て、帰国早々面白くもない顔を見せつけられる彼女の神経質と、自制力の乏しさとに、すこし彼は腹立たしいような気にさえ成った。
 岸本に言わせると、彼が節子に対して済まなかったと思うことは今更繰返すまでもない。唯《ただ》それを赦《ゆる》して貰《もら》おうが為に、出来ることなら一生の失敗から出発して更に新規な道を開こうが為に、一旦《いったん》は帰るまいと思った心をひるがえしてもう一度自分の国へ帰って来た。旅は幸いにも多くの生活の興味を喚起《よびおこ》した。彼は自分でも再婚する心であり、節子の縁談でも起った場合には蔭《かげ》ながら尽すつもりでいる。そして彼女のために進路を開き与えようと心がけている。そのことを義雄兄の前でも話し、兄もまたひどく彼の再婚説に賛成してくれた。節子が沈んでしまわねば成らないほど希望を失うようなことは、彼女の前途には見当らなかった。
 そこで彼は一つの言葉を思いついた。どうしても原因の分らない彼女の濃い憂鬱《ゆううつ》を「節ちゃんの低気圧」という風に言って見た。その日まで彼はなるべく彼女を避けるようにし、直接に言葉を掛けることをすら謹《つつし》み、唯遠くから彼女を眺めて来た。言葉を替えて言えば、彼はまだ真面《まとも》に節子を見得なかった。不思議な低気圧が来て見ると、彼は否《いや》でも応でもこの黙し勝ちな不幸な人の容子を注意して見ない訳にいかなかった。
        二十九
 毎日のように岸本は訪問のために出歩いた。旧知なつかしい心から彼は訪《たず》ねられるだけ親戚《しんせき》や知人を訪ねたいと思った。芝に。京橋に。日本橋に。牛込《うしごめ》に。本郷に。小石川に。あだかも家々の戸を叩《たた》いて歩く巡礼のように。そして高輪を指《さ》して帰って来て見る度《たび》に、相変らず節子は鬱《ふさ》ぎ込んでいた。
 旅から岸本が心配しながら帰って来た時、彼の想像する姪《めい》は姿からしてひどく変り果てた人であった。あの巴里《パリ》の下宿の方で取出すのも恐ろしいほどに思った節子の写真に撮《と》れた姿――彼女自身の言葉を借りて言えば、まるで幽霊のように撮れたという産後の衰えた姿――それがまだ彼の眼にあった。その思いをすれば節子はいくらか瘠《や》せ細ったかと思われる位で、短く切れたという髪でさえ見たところさ程には彼の眼に映らなかった。けれども、これは唯一時彼を安心させたに過ぎなかった。以前とは違って節子の弱くなったことが、次第に兄や嫂《あによめ》や祖母さんの口から泄《も》れて来た。
「お前が帰って来てから、あれで気を張っているものかも知らんが、あんなに朝も早く起きるようなことは節ちゃんとしては、まあ開闢《かいびゃく》以来だ。どうかすると部屋の掃除をする元気もない。自分の寝床を畳むのがもう精々――そんな日がこれまでにいくら有ったか知れない。お前が留守の間はまるで寝て暮した様なものだぞ。稀《たま》に外へ使に出してやれば電車の中で気が遠くなるなんて――ヤカなものだわサ」
 こう義雄は田舎訛《いなかなまり》の混って出て来る調子で岸本に話し聞かせたこともある。その調子は、鈴木の姉のように慎《つつし》み深いか、亡《な》くなった甥《おい》の太一の細君のように賢いか、田辺の家のお婆さんのように勇気があるか、でなければ女として話にならないという風で。
 矢張実際の節子は岸本が心配した通りであった。それほど弱々しい人で、しかも水いじりは勿論《もちろん》、針を持つことさえ覚束《おぼつか》ないというほど手の煩《わずら》いに附纏《つきまと》われているような人で、どうしてこのまま家庭の人と成ることが出来ようかと危《あやぶ》まれた。「お前は人一人をこんなにしてしまった」――そういう声が来て彼を責めたとする。よし節子を囲繞《とりま》く一切の病的なものが悉《ことごと》く彼の責《せめ》のあることでは無いにしても、それほど彼女を力の無いものとした根本の打撃は争われなかった。
 節子の低気圧の何であるかは、どうしても岸本には知ることが出来なかった。それとなく岸本は姪の様子を見に行ったこともあった。北向の部屋の外には、裏木戸から勝手へ通う僅《わず》かばかりの空地がある。そこには日頃《ひごろ》植物の好きな節子が以前の神田川に近い家の方から移し植えた萩《はぎ》がある。その花の押されたのは節子の便《たよ》りと共に巴里の下宿の方へ届いたこともある。三年も経《た》つ間には萩も大きくなった。節子は縁側に出て、独りで悄然《しょんぼり》と青い萩に対《むか》い合って、誰とも口を利《き》きたくないという様子をしていた。
        三十
 ある日も、岸本は以前住った町の方に旧知を訪ねるつもりで、家を出る前に皆と一緒に食卓に就《つ》いた。丁度昼飯時で、兄の家族をはじめ学校の早びけを楽しむ泉太や繁まで一同そこへ揃《そろ》った。
「叔父さんが仏蘭西から帰って来てから、家のものはまだ皆《みんな》遠慮しています。皆これで猫を冠《かぶ》っています」
 こんなことを串談《じょうだん》半分に義雄が言出した。
「どうして、一ちゃんなんかだって泉ちゃんや繁ちゃんの次席《つぎ》に坐らせられて、叔父さんでも居なかろうものならああして黙って食べているもんじゃない。皆これで猫を冠っています。この猫が冠りきれれば大したものだが――それこそ万歳だが」
 と復《ま》た義雄が言った。泉太や繁等は義雄|伯父《おじ》から何を言出されるかという顔付で、伯父と並びながら食べていた。
「自分だっても猫を冠ってるくせに」
 と嫂は義雄の方を見て鋭く言った。この嫂の皮肉は義雄を苦笑《にがわらい》させた。
 節子は母親と一郎の間に坐って、頭をさげたぎり、物も言わずに食べていた。何となく彼女の楽まない容子は、岸本にはそれがよく感じられた。
「まだ節ちゃんはあんな顔をしている」
 そう思いながら岸本はその食卓を離れた。
 どうしてそんなに節子の低気圧が続いているか。原因の知れないだけに、岸本には可哀そうに成って来た。それを気に掛けながら、彼は高輪の家を出て、岡に添うた坂道を電車の乗場まで歩いた。
 電車で浅草橋まで乗って見ると、神田川の河岸《かし》がもう一度岸本の眼にあった。岸本は橋の上に立って、曾《かつ》てよく歩き廻ったその河岸を橋の欄《てすり 
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