ヤから見える赤い瓦屋根《かわらやね》の農家なぞに思い比べて行った。
 大阪では岸本は牧野と一緒にある未知の家族を訪《おとな》う筈《はず》であった。そこには岸本の再婚に就《つ》いて、巴里《パリ》の美術家から勧《すす》められて来た人も住んでいたからで。その人の兄と巴里の美術家とは至極懇意な間柄でもあるからで。丁度人が眠くなる夜の部分を通り越すと反《かえ》って頭脳《あたま》が冴《さ》えて来るように、岸本は疲れながらも一層よく思考することが出来るような気がした。彼は自分の再婚に就いて考えた。現実を厭《いと》い果てた寂しい修業地から引返して行って僧侶の身にして妻帯を実行したというあの昔の人達の生涯の意味は、旅に居る間の自分を教えたことを考えた。もう一度夜明を待受けるような心で国に帰って来た彼自身は既に四十五歳にもなることを考えた。もし妻の園子がこの世に生きながらえているとしたら、二十二の歳《とし》に嫁《かたづ》いて来た彼女が早や三十九になるとも考えた。その年に成っての二度目の結婚だ。彼は何もそんなに年の若い妻を迎える心は持たなかったのであるが、そうかと言って四十に手の届く婦人と今更結婚する気にも成れなかった。すくなくも三十前後の婦人に望みを掛けていた。この望みだけは、巴里の美術家から聞いて来たところによると、どうやら叶《かな》いそうであった。
 しかし岸本がこれから未知の家族を訪おうとすることは、準備なしに行かれる普通の楽しい訪問とも違っていた。逢って見て意気の合いそうにも無ければ、断らねば成らない。それは婦人を侮辱するようなものだ。この考えはすくなからず彼を躊躇《ちゅうちょ》させた。何しろ彼はまだ旅から帰ったばかりで、今少し時の余裕を欲しいと思い、相手の婦人を知ることの出来るような自然な機会をも得たいと思った。彼は牧野にこの事を話して、結局その訪問を思い止った。大阪の宿では彼は一日客と話し暮した。牧野と一緒に夏の夜の賑《にぎや》かな町々をも歩いて見た。明るい燈火のかげを歩き廻る時の彼の心は、どうかするとまだ巴里の大並木街《グランブウルバアル》の方へも行き、帰りの旅に見て来た阿弗利加《アフリカ》の殖民地の港の方へも行った。

        十六

 大阪から直《す》ぐに東京へ向おうとしていた牧野と、京都の方に巴里|馴染《なじみ》の千村や高瀬を訪《たず》ねながら東京へ帰って行こうとしていた岸本とは、道頓堀《どうとんぼり》の宿で別れた。一日も早く牧野は東京に入ろうとしていたし、岸本はまた一日でも遅く東京に入ろうとしていた。東京の方に近づけば近づくほど、岸本の足は進まなかった。
「岸本さん、一緒に東京へ入ろうじゃありませんか」
 別れ際《ぎわ》に牧野がそれを言って勧めたが、岸本の方では再会を約して置いて手を分った。何故久し振《ぶり》で東京を見る彼の足がそれほど進まないのか、何故一切の人の出迎えなぞを受けずに独《ひと》りで寂しく東京へ入ろうとしているのか、その彼の心持は七十日の余も帰国の旅を共にした牧野にさえ言えないことであった。
 京都を指《さ》して出掛けて行く時の岸本の側には、最早《もはや》懐《なつか》しい旅の心を比べ合うような連も居なかった。でも岸本はまだ牧野が自分の側にでも居るようにして、二人して一緒に望んで行くように、淀川《よどがわ》一帯の流域とも言うべき地方を汽車の窓から望んで行った。汽車がいくらかずつ勾配《こうばい》のある地勢を登って行くにつれて、次第に遠い山々も容《かたち》を顕《あらわ》した。彼は饑《う》え渇《かわ》いたように車の窓を開け放ち、山城《やましろ》丹波《たんば》地方の連山の眺望《ちょうぼう》を胸一ぱいに自分の身に迎え入れようとして行った。大阪から京都まで乗って行く途中にも、彼は窓から眼を離せなかった。
 京都の宿には、大阪で落合った巴里馴染の画家が岸本より先に着いていた。宿の裏の河原、涼み台、岸に咲く紅《あか》い柘榴《ざくろ》の花、四条の石橋の下の方から奔《はし》り流れて来る鴨川《かもがわ》の水――そこまで行くと、欧羅巴《ヨーロッパ》の戦争も何処《どこ》にあるかと思われるほど静かであった。
 まだ半ば長途の旅行者のような岸本の心は休むということを知らなかった。京都には巴里の下宿で食卓を共にした千村教授がある。帰国後はもう助教授と言わないで教授の位置に進んだ、仏蘭西《フランス》の旅でも格別懇意にした高瀬がある。それらの人達に逢う楽みに加えて、宿にはまたリオンの方に滞在する岡の噂《うわさ》や巴里のシモンヌの噂などの出る画家がある。鴨川の一日は岸本に取って見るもの聞くもの応接にいとまの無いくらいであった。こうして京都に着いた翌日には、酷《ひど》く彼も疲労《つかれ》の出たのを覚えた。彼は東京の方へ帰って行った後の多忙《いそが》しさを予想して、せめて半日その宿の二階座敷で寝転《ねころ》んで行こうとした。同じ部屋には旅行用の画具なぞをひろげた画家が居て、
「巴里の連中ですか。僕はまだ誰にも逢いませんよ。めったに皆と一緒になるような機会も有りませんよ。国へ帰ると、みんな澄ますように成っちゃって駄目ですね――ちっとも面白か無い」
 こんな話をしながら画作に余念の無い人の側で、時には宿の女中が階下《した》から上って来て話し聞かせる上方言葉をもめずらしく思いながら、岸本は苦しいほど疲れた自分の身体を休めて行こうとした。三年異郷で腰掛けることに慣れて来た彼は、畳の上で坐り直して見るにさえ骨が折れた。膝《ひざ》も脚《あし》も痛かった。彼は胡坐《あぐら》にして見たり、寝転んで見たりした。まだ彼はほんとうに身体を休めるというところまで行かなかった。
 岸本が意を決して西京を発とうとしたのはその夕方であった。東京の方へ向おうとする彼の足はまるで鎖にでも繋《つな》がれているのを引摺《ひきず》って行くように重かった。

        十七

 夜汽車で京都を発った岸本は翌日の午後になって品川の停車場《ステーション》を望んだ。彼は自分の旅の間に完成されたという東京駅をも見たいとは思い、ひょっとするとそこに自分を出迎えていてくれる人もあろうかと気遣《きづか》ったが、しかし品川まで行けば留守宅は近かった。旅の荷物も品川で受取ることにしてあった。彼は東京駅まで乗らずに、その停車場で降りた。
 かねて東京に着く日取もわざと知らせなかった留守宅の人達が、そんな時に岸本の独りで悄然《しょうぜん》と帰って来たことを知ろう筈もなかった。果して停車場の構内には彼を出迎える子供等の影さえも見えなかった。彼は停車場の出口のあたりを歩いて見た。靴のまま堅い土を踏みしめ踏みしめして見た。そうして荷物の受取れるのを待った。その乗降の客も少い建築物《たてもの》の前に立って見て、今更のように彼は遠く旅して帰って来たことを思った。この寂しい入京は、おのずと頭の下るような自分の長旅の終りに適《ふさ》わしいとも思った。
 その時の彼は苦しいほど疲れていることなぞを忘れてしまった。頼んだ辻待《つじまち》の車が来た。荷物も既に別の車の上に積まれた。間もなく彼を乗せた車は品川から高輪《たかなわ》へ通う新開の道路について、右へ動き左へ動きしながら長い坂を登って行った。あのどんよりとした半曇りのような空から泄《も》れる巴里の日あたりとは違って、輝きからして自分の国の方の七月らしい日の光が坂道を流れていた。強い照返しは日除《ひよけ》を掛けた車の中にも満ちた。どうかすると、その日あたりを見て乗って行く彼の頭脳《あたま》の内部《なか》まで射《さ》しこんで来るかと思われるほど強く。車が動く度《たび》に近づいて行く留守宅の方のことは、そこに彼を待つ人達のことは、眼に見る日あたりのまぶしさに混って、しきりに彼の胸を騒がせた。彼は兄を見るの切なさにも勝《まさ》り、嫂《あによめ》を見るの苦しさにも勝って、あの節子を見るには耐えないような気がして来た。自分の不徳ゆえに、罪過ゆえに、いかに彼女が変り果てているだろうかとは、それを想像して行くだけでも耐え難かった。
 喘《あえ》ぎ喘ぎ坂を登って行った車夫は高輪の岡の上まで出ると急に元気づいた。なるべく遅くと注文したいほどに思っている客を乗せて、車はぐんぐん動いて行った。ある横町に折曲ると、その角に煙草屋がある。ふと岸本はその辺に遊んでいる男の児の後姿を見かけて、それが自分の二番目の子供ではないかと思った。
「繁ちゃんじゃないか」
 思わず彼は車の上から声を掛けて見た。
 見違えるほど大きくなった繁はそう言って声を掛けられたのを何と思ったのか、日除の掛った車の方をもよく見ないで、
「父《とう》さんはまだ帰らないよ」
 と言い捨てながら、何か嬉しそうな声を揚げて急に家の方へ駆出して行った。そこからはもう留守宅の格子戸《こうしど》の見えるほど近かった。

        十八

 忍びがたいのを忍んで岸本が家の前に停《と》めさせた車から降りた時、軒下の壁の破れや短い竹垣の荒れ朽ちたのが先《ま》ず彼の眼についた。荷物を卸す音なぞを聞きつけて誰よりも先に入口の格子戸のところへ飛んで出て来たのは嫂であった。嫂は内側から格子戸を一ぱいに開けてくれた。
「やあ、お帰りかね」
 と言って義雄兄は玄関先に立った。続いて兄の子供も、繁もそこへ集った。岸本は旅姿のまま入口の庭に立って一度に皆と顔を合せた。祖母《おばあ》さんの後方《うしろ》に立つ節子をも見た。彼は自分で自分の顔色の苦しく変るのを覚えた。
 やがて岸本は家の人達に迎え入れられた。順に一人ずつ挨拶《あいさつ》があった。岸本は兄の前にも頭をさげ、嫂の前にも頭をさげた。
「捨さん、お帰りでございましたか。あなたもまあ御無事で」
 と静かな調子で言う祖母さんの前へも行って、岸本は挨拶した。そこへ節子も挨拶に出て来た。岸本は唯《ただ》黙って彼女の前にも御辞儀をした。
「これ、一郎も次郎も叔父さんに御辞儀しないか。そんなとこに立っていないで」
 と嫂に言われて、兄の二人の子供と繁とは一緒に揃《そろ》って岸本の前に並んだ。子供等は大人同志の挨拶の済むのを待っていたという顔付で。
「へえ、これが次郎ちゃんですか――」と岸本は初めて逢《あ》う頬《ほお》の紅《あか》い子供を見た。
「あなたの御留守に、これが生れましたよ」と嫂は言い添えた。
 三年も見ない間に繁の背の延びたことは岸本を驚かした。繁は皆の見ている前で父に逢うことをきまりの悪そうにして、少年らしく膝を掻合《かきあわ》せていた。
「捨吉、まあお茶を一つお上がり」
 と奥の部屋の方から呼ぶ義雄兄の前へ行って、岸本は初めて兄と差向いに成った。岸本が国を出る時、名古屋から一寸|別離《わかれ》を告げに来たと言って、神戸の旅館まで訪ねてくれた人に比べると、この兄も何となく老《ふ》けて見えた。
「もうお前も帰りそうなものだと言って、吾家《うち》へ訪ねて来た人なぞもあった。俺《おれ》もね、子供をみんな連れて東京駅まで迎えに行ったが、お前は帰って来ないし……なんでも、大阪までお前の帰って来たことは分ってるが、それから先の行方《いきがた》が知れないなんて言う人もありサ。昨日《きのう》と、一昨日《おととい》と、俺は二度も東京駅まで見に行った」
「そいつは済みませんでした。私は出迎えをお断りするつもりで、わざとお知らせもしませんでした。今々品川からここへやって来たところです」
「捨吉は品川へ着いたんだとサ」兄は家の人達へ聞えるように言って笑った。
 制《おさ》えに制えたようなものが家の内の空気を支配していた。子供等の顔までも何となく岸本には改まって見えた。繁は父の帰宅を知らせるために、学校の方に居る泉太の許《もと》へ駈出《かけだ》して行った。

        十九

「只今《ただいま》」
 という泉太の声が玄関の方でして、やがてこの年長《としうえ》の方の子供は眼を円《まる》くしながら学校通いの短い袴《はかま》のまま父の側《そば》へ御辞儀に来た。
「オオ、泉ちゃんも大きく成りましたね」
 義雄
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