ァ《あ》う節子の前にも自分を持って行って見た。
 岸本は嘆息して、この帰国の容易でないことを想った。しかし、もう一度夜明を待受けるような心をもって、彼はそれらの人達の方に向おうとした。せめてあの嫂だけには一切を打明けよう、そしてこれまでのことを詫《わ》びようと考えた。不幸な節子のためにも自分の力に出来るだけのことをしよう、彼女の縁談のことにも骨折ろうと考えた。岸本に取っては、この帰りの旅はすくなからぬ精神《こころ》の勇気を要することばかりであった。

        四

 戦争の影響は岸本が泊っているような下宿にまで及んで、そこから陸軍病院へ通っていた眼科医の客も去り、家庭教師の客も去り、終《しまい》には客は岸本一人になってしまった。食堂も極く淋《さび》しかった。諸物価騰貴でヤリキレないとこぼしこぼししていた主婦《かみさん》が結局そこを畳んで戦争の終る頃までリモオジュの田舎へでも引込みたいと言出したので、それを機会に岸本は長く住慣れた下宿を去ろうとした。そして、何かにつけ旅立《たびだち》に便利なソルボンヌ附近の旅館の方に移ろうとした。
 まだ岸本は巴里を引揚げる日取も定めることは出来なかった。遠い旅のことで、国の方から来る手紙を待つだけにも可成《かなり》の日数を要した。旅行も困難な時であったから、途中のこともいろいろ問合せて見ねば成らなかった。それによって帰国の旅の方針を定めねば成らなかった。遠く喜望峰《きぼうほう》を経由して、印度《インド》洋から東洋の港々を帰って行く長い航海の旅を択《えら》ぼうか。それとも多少の危険を冒し、途次《みちみち》厳《きび》しい検閲で旅の手帳を取上げられるくらいのことは覚悟しても、英吉利《イギリス》から北海を越え、日頃見たいと思う北欧羅巴の方を廻って、西比利亜《シベリア》を通って帰って行く汽車旅を択ぼうか。遠い露領の果の方には叔父の帰りを待受けると言ってよこした輝子(節子の姉)夫婦も住んでいた。いずれにしてもそうやすやすと帰って行かれる時ではなかった。岸本はその二つの中の何方《どちら》の道を択ぼうかということにさえ思い迷った。
 巴里で岸本が懇意になった美術家仲間の中でも、小竹は既に国へ帰り、岡はしばらくリオンの方へ行っていた。例のパスツウルに近い画室には岸本と一緒に巴里を引揚げようと約束した牧野が居て、この画家は帰りの旅の打合せかたがたよく岸本の下宿へ顔を見せた。
「国の方ではどういうものが僕等を待っていてくれますかサ」牧野を見る度《たび》に、岸本はそれを言わずにはいられなかった。
「留守宅でも困っているんじゃないかと思うんです。帰って行って見たら、第一その心配をしなけりゃ成るまいかと思うんです」
 こう岸本は日頃めったに牧野の前で言出したことも無い自分の留守宅の方の噂《うわさ》をすると、骨の折れる旅を続けて来た牧野はそれを聞いて点頭《うなず》いて見せた。
「二度とこういう旅をしようとは思いませんね」
 牧野を前に置いて、岸本はつくづく辛《つら》いことの多かった過ぐる三年近くの月日を思い出したように嘆息した。
 それが下宿の部屋で牧野を見る最終の時であった。岸本は旅館の方へ行ってから、ほんとうに旅支度を調《ととの》えたいと思った。いよいよ頼んで置いた辻馬車《つじばしゃ》が町の並木の側に来て、仮に纏《まと》めた荷物を送出すという前に、岸本は苦《にが》い昼寝の場所であった部屋の寝台の側へも行き、冷い壁にかかる銅版画のソクラテスの額の下へも行き、置戸棚《おきとだな》の扉《と》に張りつけてある大きな姿見の前へも行った。その部屋を去る頃の彼の髪は自分ながら驚くほど白くなっていた。

        五

 最早岸本は巴里にじっとしている在留者でなくして帰国の途に上りかけている旅行者であった。ソルボンヌの大学に近い旅館に移ってから、毎日のように彼は用達《ようたし》に出歩いた。これから倫敦《ロンドン》へ渡ろうとする手続きを済ますためには、巴里の警察署へも行き、外務省へも行き、英吉利《イギリス》の領事館へも行った。国の方の親しい人達への土産《みやげ》として、こころざしばかりの品々を探すためには、古いサン・ゼルマンの並木街なぞを歩き廻った。丁度セルヴァンテスの三百年祭も来ていて、あの「ドン・キホオテ」を書いた西班牙《スペイン》の名高い作者を記念するための新刊の著述なぞが本屋の店頭《みせさき》を飾っていた。学芸に心を寄せる岸本のような男に取っては、そうした新刊書の眼につく飾窓の前を通りながら、もう黄ばんだ若葉の延びて来ているマロニエの並木の間を往《い》ったり来たりした時には余計に旅らしい心を深くしたのであった。別離《わかれ》を告げるために、彼は日頃《ひごろ》懇意にした仏蘭西人の家々をも訪《たず》ねて見た。どの家を叩《たた》いても戦時らしい心持を起させないところは無かった。ビヨンクウルの書記の家へ行って見た。そこでは最早老婦人の姿は見えず、細君も留守で、二人の子供が家婢《おんな》を相手に淋しそうにしていた。ブロッスの老教授の家へ行って見た。そこでは戦地の方へ行っている若い子息《むすこ》の一人が負傷したとやらで、教授夫婦は見舞のために出掛けて、家婢が心配顔に留守番をしていた。
 いよいよ仏蘭西の旅も終に近いことを思わせるような夕方が来た。岸本は旅館の三階の部屋に独《ひと》り籠《こも》って、古い歴史のあるソルボンヌの礼拝《らいはい》堂の方から石造の町の建築物《たてもの》の間を伝わって来る鐘の音を聞きながら、東京の留守宅|宛《あて》の手紙を書いた。
 かねて岸本にはこの旅を終る頃に為《な》し遂《と》げたいと考えて置いたことが有った。巴里を引揚げる頃が来たら自分の髭《ひげ》を剃落《そりおと》してしまおう、そして帰国の途に上ろうと考えていた。不思議と言えば不思議、突飛《とっぴ》と言えば突飛な考えではあったが、心に編笠《あみがさ》を冠《かぶ》る思いをして国を出て来た岸本には別にそれが不思議でもなく突飛でもなかった。何か彼は現在の自分の心を実際に自分の身に現したかった。
 しばらく岸本は部屋の寝台に腰掛けて自分で自分の為ることを制止《おしとど》めようとして見た。しかし、かねての思いを遂げる時が来ていた。そこで彼は髭を落しに掛った。部屋には壁に寄せて造りつけた石の洗面台がある。その上に姿見がある。彼はその前に立って、自分で剃刀《かみそり》を執った。惜気《おしげ》もなく剃刀を動かす度に、もう幾年となく鼻の下に蓄《たくわ》えて置いたやつが曲《ゆが》めた彼の顔を滑《すべ》り落ちた。好くも切れない剃刀で、彼は唇《くちびる》の周囲《まわり》の腫《は》れ上るほど力を入れて剃った。
 曾《かつ》て国の方で人を教えたこともある自分の姿のかわりに、ずっと以前の書生時代にでも帰って行ったような自分の姿がそこへ顕《あらわ》れて来た。最後に姿見の方へ行って剃り立ての顔を眺めた時は、今まで髭に隠れていた鼻の下あたりが青々として見えた。ところどころからは血も滲《にじ》み出た。
 岸本の顔はまるで変ってしまった。しかし彼はさも心地よげに、両手で口の周囲《まわり》を撫《な》で廻した。この顔でこそ、もう一度国の方へ帰って行って節子の親達にも逢えると考えた。

        六

「オヤ、大層さっぱりとなさいましたね」
 こういう意味のことを仏蘭西の言葉で言って、誰よりも先に岸本の顔を見つけたものは、翌朝《よくあさ》部屋の掃除に入って来た旅館の給仕であった。
 逢う人|毎《ごと》に岸本を見て噴飯《ふきだ》さないものは無かった。巴里の狭い在留者仲間で、外国生活の無聊《ぶりょう》に苦しんでいるような人達は、「村」での出来事か何かのようにして、有るべきところに有るものが有った以前の岸本の顔の方が余程《よほど》好かったと、彼のために突飛な行いを惜んでくれた。別れを兼ねての骨牌《かるた》の会、珈琲店《コーヒーてん》での小さな集りなぞがある度に、岸本は行く先で自分の顔の評を受けた。「髭のあった時分の顔には、なつかしみが有った。何だか髭を取ってしまったら、凄味《すごみ》が出て来た」と言って笑うものがあった。「まあどうなすったんですか。ほんとに、吃驚《びっくり》してしまいましたよ。そんなことを言っちゃ悪いけれども、岸本さんは気でも狂《ちが》ったんじゃないかとそう思いましたよ」と言うものもあった。「惜しいことをした。矢張《やっぱり》君には髭が有った方が好い。国へ帰るまでには是非|生《はや》して行き給え」と言って忠告してくれる人もあった。
「岸本さん、髭が無くなりましたね。何かそれには意味が有るんですか」
 同じ旅館に泊っている留学生が小旅行から戻って来て、それを岸本に尋ねた。この人は慶応出で岸本から見るとずっと年少《としした》ではあったが、何かにつけて彼の力になってくれた。
「昔、岸本さんは坊主にお成んなすったとか――」と復《ま》たその留学生が男らしい眉《まゆ》をあげて、岸本の方を強く見て言った。「何かそれと同じような意味でもあるんですかね」
 さすがに、この人の言うことは鋭かった。岸本は返事に窮《こま》って、
「自分の髪の白くなったのは鏡にでも向わなければ分りませんが、髭の白いのは見えて、心細くて仕様がありません。もう一度書生の昔に復《かえ》ろう。そう思って、君の留守に剃ってしまいましたよ――」これ以上のことは岸本には言えなかった。
 さかんな若葉の緑が何時《いつ》の間にか古めかしく黒ずんだ石造の町々の間へ青々とした生気をそそぎ入れるようにやって来た。岸本は独りで旅館を出て、大学の建築物《たてもの》の側《わき》をある並木街へと取り、オステルリッツの橋の畔《たもと》まで歩いて行った。すこし曇った日で、四月らしい明るい日あたりを見ることは出来なかったけれども、それがセエヌ河に近く行って見る最終の時であろうと思われた。岸本が初めて巴里に入ったのは足掛四年前の四月であったから、丁度巴里を発《た》つ前になってその時の若葉の記憶が復た彼の心に帰って来た。彼は今、石橋の下の方を渦巻き流れて行く清いセエヌの水を見る眼で、遅くも二月《ふたつき》か二月半ばかりの後にはあの旧《ふる》い馴染《なじみ》の隅田川《すみだがわ》を見ることが出来るかと考えた時は、まるで嘘《うそ》のような気がした。

        七

 セエヌの河岸《かし》の中でも、オステルリッツの橋の畔《たもと》から古いノオトル・ダムの寺院の見える中の島あたりへかけては岸本の好きな場所で、過ぐる三年の月日の間、彼はよくその河岸へ旅の憂《う》さを忘れに来た。故郷《ふるさと》なしには生きられないほど国の方にある一切のものの恋しかった時。一日二日の絶食を思うほど旅費も乏しく心もうら悲しかった時。行けるだけの旅を行き尽して一番最後に呼んで見たいものは、子供の時分に死別れた父の名でもなく、十二年も連添った亡き妻の名でもなく、何と言っても濁り気のなく感じ易《やす》い青年時代に知った最初の情人の名であったほど、それほど旅の心の閉じ塞《ふさ》がってしまった時。そういう時に彼が見に来たのはこの水だ。相変らずセエヌは高い石垣の下の方を冷く音も無く流れていた。彼はそれを右手に見ながら、新緑の並木の続いた河岸の歩道に添うて、旅館のある町の方角へと歩いた。
 仏蘭西の旅に来てから以来《このかた》のことが何となく岸本の胸に纏《まと》まって来た。彼はこの旅のはじめに国から持って来て仏蘭西人の間に分けた植物の種子《たね》のことを思出した。あの中には中野の友人から贈られた茶の実ばかりでなく、築地《つきじ》の方に住む知人が集めてくれた銀杏《いちょう》、椿《つばき》、沈丁花《じんちょうげ》、その他都合七|種《いろ》ばかりの東洋植物の種子があったことを思い出した。あの土産は殊《こと》の外仏蘭西人にめずらしがられて、ブロッスの老教授の手から彼方《あっち》へ三粒、是方《こっち》へ四粒と分けられたが、ある日本美術|蒐集家《しゅうしゅうか》の庭には銀杏が生《は》えたとい
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