セろう」
 四十いくつかの窓に燈火《あかり》の望まれる産科病院の前に帰ってからも、岸本は自分の部屋の暖炉の上に置いてある洋燈《ランプ》の前に行って、昔の友人に別れてから以来《このかた》のことを辿《たど》って見た。あの青木や、足立や、菅や、市川や、それから岡見兄弟なぞと一緒に踏出した時分の心持を辿って見た。
 夕飯後に、下宿の女中が来て、大急ぎで部屋の窓を閉めて行った。
「窓から燈火が見えると、警察でやかましゅうございますから」
 と女中はそんな戦時らしい言葉を残して出て行った。
 岸本は黄色な布《きれ》の蓋《かさ》のはまった古めかしい感じのする洋燈を自分の机の上に移した。その燈火に対《むか》っていると、彼の心は容易に妻を迎える気に成らなかった結婚前の時へも行き、先輩の勧《すす》めで婚約した園子は曾《かつ》て娘の時分に同じ学校を早く卒業したあの勝子から物を習った人であったことなどへも行き、初めて園子と一緒に小鳥の巣のような家を持った楽しい新婚の当時へも行った。
「父さん、私を信じて下さい……私を信じて下さい……」
 あの園子の言葉、結婚して十二年の後に夫の腕に顔を埋《うず》めて泣いたあの園子の言葉は、岸本が妻から聞いた一番|懐《なつか》しみの籠《こも》った忘れ難い言葉であった。愛することを粗末にも考えまいとして、彼は苦い人生を経験した。彼は失ったものを取返そうとして、反《かえ》って持っている者までも失った。園子が産後の出血で、殆《ほとん》ど子供等に別れの言葉を告げる暇《いとま》もなくこの世を去った頃は、彼は唯《ただ》茫然《ぼうぜん》として女性というものを見つめるような人になってしまった。もし彼がもっと世にいう愛を信ずることが出来たなら、子供を控ての独身というような不自由な思いもしなかったであろう。親戚《しんせき》や友人の助言にも素直に耳を傾けて、後妻を迎える気にも成ったであろう。信の無い心――それが彼の堕《お》ちて行った深い深い淵《ふち》であった。失望に失望を重ねた結果であった。そこから孤独も生れた。退屈も生れた。女というものの考え方なぞも実にそこから壊《くず》れて来た。
 旅に来て、彼は姪《めい》からかずかずの手紙を受取った。いかに節子が彼女の小さな胸を展《ひろ》げて見せるような言葉を書いてよこそうとも、彼にはそれを信ずる心は持てなかった。

        百二十八

 ソクラテスの死をあらわした例の古い銅版画の掛った壁を後方《うしろ》にして、寝台に近く岸本は腰掛けた。そして自分の半生を思い続けた。
「情熱あるものといえども、真にその情熱を寄すべき人に遇《あ》うことは難い」
 これは岸本が春待つ旅の宿で故国の新聞紙への便《たよ》りの端に書きつけて見た述懐の言葉であった。夜の九時と言えば窓の外もひっそりとして、往来《ゆきき》の人の靴音も稀《まれ》にしか聞えないような戦時らしい空気の中で、岸本は自分で書いた言葉を繰返して見た。漸《ようや》く八歳の頃に既に激しい初恋を知ったほどの性分に生れつきながら、異性というものを信ずることも出来なくなってしまったような半生の矛盾を考えて見た。
 京都大学の高瀬が隣室に居た頃、柳博士等と連立って訪《たず》ねて行ったあのペエル・ラセエズの墓地にあるアベラアルとエロイズの墓は、まだありありと岸本の眼に残っていた。あの名高い中世紀の僧侶《ぼうさん》は弟子であり情人である尼さんと終生変ることのない愛情をかわしたというばかりでなく、死んだ後まで二人で枕《まくら》を並べて、古い黒ずんだ御堂の内に眠っていた。そこにあるものは深い恍惚《こうこつ》の世界の象徴だ。想像も及ばぬ男女の信頼の姿だ。「さすがにアムウルの国だ」などと言って高瀬は笑ったが、岸本にはあの墓が笑えなくなって来た。仮令《たとえ》アベラアルとエロイズの事蹟《じせき》が一種の伝説であるというにしても。岸本はあの四本の柱で支《ささ》えられた、四つのアーチのどの方面からも見られるカソリック風な御堂の中に、愛の涅槃《ねはん》のようにして置いてあった極く静かな二人の寝像を思出した。あの古い御堂を囲繞《とりま》く鉄柵《てっさく》の中には、秋海棠《しゅうかいどう》に似た草花が何かのしるしのようにいじらしく咲き乱れていたことを思出した。彼はその周囲《まわり》を廻《めぐ》りに廻って二つ横に並んだ男女のすがたを頭の方からも足の方からも眺《なが》めて、立ち去るに忍びない気のしたことを思出した。まるでお伽話《とぎばなし》だ、と彼は眼に浮ぶ二人の情人のことを言って見た。しかし、お伽話の無い生活ほど、寂しい生活は無い。彼は最早《もう》自分の情熱を寄すべき人にも逢わず仕舞《じまい》に、この世を歩いて行く旅人であろうかと自分の身を思って見た。そう考えた時は寂しかった。
 その晩、岸本は遅く部屋の寝台に上った。枕に就《つ》く前にも、床の上に半ば身を起していて、若い時分の友達のことや、自分の青年時代のことを思い出した。あの早くこの世を去った青木に別れた時から数えると、やがて二十年近くも余計に生き延びた自分の生涯を胸に浮べて見た。彼は唯持って生れたままの幼い心でその日まで動いて来たと考えていた。気がついて見ると、どうやらその心も失われかけていた。
「そうだ。何よりも先《ま》ず自分は幼い心に立ち帰らねば成らない」
 と言って見た。旅に来てその晩ほど、彼は自分の若かった日の心持に帰って行ったことは無かった。

        百二十九

 頑《かたくな》な岸本の心にも漸くある転機が萌《きざ》した。もし国の方へ帰らないことに方針を定め、全然知らない人の中へ踏込んで行こうとするには、この戦時に際してどういう道が彼の前にあったろう。今は十八歳から四十八九歳までの仏蘭西《フランス》人が国難に赴《おもむ》いている。学芸に携わるものでも、ビヨンクウルの書記のように自転車隊附として働いているものがあり、ラペエの詩人のように輸送用の自動車に乗って働いているものもある。もし義勇兵に加わっても知らない人の中へ行こうとするほどの心を有《も》つならば、無理にも行く道が無いではなかった。けれども岸本はこれ以上深入して、国の方に残して置いて来た子供等を苦めるには忍びなかった。そこまで行って、漸く彼には帰国の決心がついた。
 義雄兄からはなるべく早く帰って来てくれとした手紙が来るように成った。岸本は兄に宛《あ》ててこの決心を書送った。ともかくも来《きた》る十月の頃まで待ってくれ、それまでには帰国の準備をしたいと思うし、二度と出掛けて来るような機会が有ろうとは一寸《ちょっと》思われないから、出来るだけこの旅を役に立てたいと思うと書送った。
「岸本さん、スエズを経由して日本の方へ帰ります」
 短い言葉に無量の思いを籠《こ》めた絵葉書が千村教授の許《もと》から届いた。それを手にして見ると、岸本は旅の空で懇意になったあの千村の声を親しく聞く気がした。千村は郵船会社の船で倫敦《ロンドン》から帰東の旅に上る時にその便りをくれたのであった。亜米利加《アメリカ》廻りで帰りたいという便りのあった高瀬の出発も最早遠くはあるまいと思われた。
 岸本は部屋の窓へ行って、千村が泊っていた旅館を望んだ。窓の外にあるプラタアヌの並木はまだまだ冬枯そのままであった。その疎《まばら》な枝と枝の間を通して、千村の旧《ふる》い部屋の窓や、その下の方の珈琲店《コーヒーてん》の暖簾《のれん》や、食事の度《たび》に千村が通って来た町の道路などをよく見ることが出来た。あの人達が去った後でもまだ続いている欧羅巴《ヨーロッパ》の戦争、独《ひと》り見る巴里の三月の日あたり、それらの耳目に触れるものから起って来る感覚は一層岸本の心を居残る旅らしくした。彼はその窓際《まどぎわ》に立って遠く帰って行く旅の人を見送ろうとするかのように、千村の航海を想像した。彼の心は神戸から自分を乗せて駛《はし》って来た仏蘭西船へ行き、あの甲板の上から望んで来た地中海へ行き、紅海へ行き、亜剌比亜《アラビア》海へ行った。恐ろしい永遠の真夏を見るような印度《インド》洋の上へも行った。コロンボ、新嘉坡《シンガポール》、その他東洋の港々の方へも行った。彼は往《ゆ》きと還《かえ》りの船旅を思い比べ、欧羅巴を見た眼でもう一度殖民地を見て行く時の千村を想像し、漠然《ばくぜん》とした不安や驚奇やは減ずるまでも、より豊かな旅の感覚の働きは反《かえ》って還りの航海の方に多かろうと想像した。彼はまた千村が再び母国を見得るの日を思いやって、二年前一切を捨てる思いをして遠く波の上を急いで来た自分の身にも、それと同じような日がいずれは来るように成ったことを不思議にさえ思った。

        百三十

 温暖《あたたか》い雨がポツポツやって来るように成った。来るか来るかと思ってこの雨を待侘《まちわ》びていた心地はなかった。五箇月も前から――旅の冬籠《ふゆごも》りの間――岸本は唯そればかりを待っていたようなものであった。リモオジュの旅以来、彼の周囲には何が有ったろう。仏蘭西国境の山地寄りの方では塹壕《ざんごう》が深く積雪のために埋められたとか、戦線に立つものの霜焼《しもやけ》を救うために毛布を募集するとか、そうした労苦を思いやる市民の心がその日まで続いて来た。彼の耳にする話は一つとして戦争の惨苦を語らないものは無かった。開戦以来、五六十万の仏蘭西人は既に死んでいるとの話もあった。この戦争が終る頃には満足な身体《からだ》で巴里へ帰って来るものは少かろうとの話もあった。彼が町で行き遇《あ》う留守居の子供でも婦女《おんな》でも老人でも、やがて来る春を待侘びていないものは無かった。寒苦、寒苦――この避け難い戦争の悩みの中で、世界の苦の中で、草木の再生がやがて自分等の再生であることを願っていないものは殆ど無いかのように見えた。
 毎日のように岸本は部屋の壁に掛る仏蘭西の暦の前へ行った。日も余程長くなって来た。空も明るくなって来た。最早|煖炉《だんろ》なしに暮すことも出来た。一雨|毎《ごと》に彼は春の来るのを感じた。漸くマロニエの芽もふくらんで来るように成った。彼はあらゆる草木が復活《いきかえ》る中で、やがて来る若葉の世界を待つのを楽みにした。白い蝋燭《ろうそく》を立てたようなマロニエの花が若葉の間に咲いて、冷い硝子窓《ガラスまど》からも、石の壁からも、春の焔《ほのお》が流れて来るのは最早遠くは無かろうと思われた。
 そよそよと吹いて来る夕方の南風に乗って独逸《ドイツ》の飛行船までがやって来るように成った。ある仏蘭西の記者の言草ではないが、あの「空中の海賊」が巴里の市中と市外とに爆弾を落して行った最初の夜は、岸本はその騒ぎも知らずに熟睡していたくらいであった。翌晩、けたたましい物音に彼は床の上で眼を覚《さま》した。喇叭《らっぱ》を鳴して飛ぶ警戒の自動車が深夜の町々を駆け巡《めぐ》った。復《ま》た彼は敵の飛行船の近づいたことを知った。急いで部屋を出て見ると、台所には震えながら祈祷《いのり》をあげている下宿の主婦《かみさん》がある。屋外《そと》には暗い空を仰いで稲妻《いなずま》のような探海燈の光を望む町の人達がある。こうした巴里に身を置いても、彼はそれほど恐ろしくも思わないまでに戦時の空気に慣れて来た。「燕《つばめ》のかわりに飛行船が飛んで来ました」そんなことを云って下宿の人達を苦笑《にがわら》いさせた位であった。それよりも彼はこうした巴里の状況が電報で伝えられて、遠く国の方に居る親戚や知人を心配させることを気遣《きづか》った。
 岸本は旅の窓で、自分を待暮している泉太や繁のことを思い、義雄兄|宛《あて》に知らせてやった帰国の時が子供等の耳に入る日のことを想って見た。それから、もう一度あの不幸な節子を見る日の来ることをも想って見た。それを考えると思わず深い溜息《ためいき》が出た。

 眼前《めのまえ》の戦争から、岸本はその中に動いているいろいろな人の心を読むように成った。丁度あの「アンナ・カレニナ」の終に書いてあるヴロン
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