A酷《むご》い父と子の衝突というものをも知らずに済んだ。彼はよくそう思った。自分の学ぶこと、為《す》ること、考えることは父と何の交渉があるだろう、もしあの父が生きながらえていたらどんなことに成ったろうと。彼は自分の意のままに父の嫌《きら》いな外国語を修め始めようとした少年の日から、既にもう父の心に背《そむ》き去ったものである。
 不思議にもこの異郷の客舎で、岸本の心は未《いま》だ曾《かつ》て行ったことの無いほど近く父の方へ行くように成った。父の声は復《ま》た彼の耳の底に聞えて来た。紅い太陽が輝くということなしに、さながら銅盤を懸けたかのごとく暗い寒空を通過ぎるような日に、凍った石の建築物《たてもの》の中で旅の前途を考えていると、
「捨吉。捨吉」
 と子供の時に聞いた父の声がもう一度彼の耳に聞えて来るように思われた。
 そればかりでは無い。父が生前極力排斥し、敵視した異端邪宗の教の国に来て、反《かえ》って岸本は父を視《み》る眼をさえ養われた。自分の国の方にいた頃の彼は、平田派の学説に心を傾けた父等の人達があの契冲《けいちゅう》や真淵《まぶち》のような先駆者の歩いた道に満足しないで、神道にまで突きつめて行ったことを寧《むし》ろ父等のために惜んだ。今になって彼は古典の精神をもって終始した父等が当時の愛国運動に参加したことや、学問から実行に移ったことを可成《かなり》重く考えて見るように成った。彼はこの旅に上る前の年に、記念することがあって父の遺した歌集を編み、僅《わずか》の部数ではあったがそれを印刷に附し、父を知る人達の間に分けたことも有った。その遺稿の中には父が飛騨の国で詠《よ》んだかずかずの旅の歌があった。それを彼は思い出して、あの水無《みなし》神社の宮司として飛騨の山中に籠っていた頃が父の生涯の中でも寂しい時であり、懐《なつか》しみの多い時ででもあることを想って見た。彼は又、父が苦しんだ精神病の原因を考えた。それを若い時に想像したようなロマンチックな方へ持って行かないで、もっと簡単な衛生上の不注意に持って行って考えて見た。仮りに父の発狂がそうした外来の病毒から来ているとしても、そのために父に対する心はすこしも変らなかった。恐い、頑固《がんこ》な、窮屈な父は、矢張自分等と同じような弱い人間の一人として、以前にまさる親しみをもって彼の眼に映るように成った。
 この父の前に、岸本は自分の旅の身を持って行った。羞《は》じても、羞じても、羞じ足りないほどの心で国を出て来た時、暗夜に港を離れ行く仏蘭西《フランス》船の甲板《かんぱん》の上に立って最後に別れを告げた時の彼は、実はあの神戸も見納めのつもりであった。彼の旅も、これから先の方針を定めねば成らないところまで行った。

        百二十

「お客さん、お支度《したく》が出来ましてございます」
 仏蘭西《フランス》風の縞《しま》の前垂《まえだれ》を掛けた下女が部屋の扉《と》を開けて、岸本のところへ昼食の時を知らせに来た。下宿でも主婦《かみさん》の姪《めい》はリモオジュへ帰って、田舎出《いなかで》の下女が傭《やと》われて来ていた。
 暗い廊下を通って、岸本は食堂の方へ行って見た。二年近い月日を旅で暮すうちに彼は古顔な客としての自分をその食堂に見た。
「さあ、どうぞ皆さんお席にお着き下さいまし」と肥《ふと》った主婦は仏蘭西|麺麭《パン》を切りながら言った。「私共は田舎料理で、ノルマンディからいらしったお客さまのお口には合いますかどうですか」
 町の近くにあるヴャアル・ド・グラアスの陸軍病院に負傷した夫を見舞うためノルマンディの地方から出て来たという女の客、ある家庭の子供を教えに通っている中年の女教師、それらの人達が岸本の食堂で落合う顔揃《かおぶれ》であった。最早《もう》羅馬《ローマ》旧教のカレエムが始まっていた。毎年の例のように主婦が豚の腸詰なぞを祝う「肉食の火曜」も過ぎていた。四十日間の宗教季節が復《ま》たやって来たことは、仏蘭西で暮した月日の長さを岸本に思わせた。
「岸本さん、お国からお便《たよ》りがございますか。お子さん方も御変りもございませんか。さぞ父さんをお待ちでございましょう」
 と主婦も一緒に食卓に就《つ》きながら言って、大きな皿に盛った精進日《しょうじんび》らしい手料理を順に客の前へ廻した。この主婦はノルマンディから来た女の客の巴里《パリ》で買ったという帽子を褒《ほ》め、家庭教師の新調した着物の好《この》みを褒め、「まあ結構な」とか、「実にまあ御見事な」とか、褒められるだけ褒めた。リモオジュの田舎から出た人だけに、お料理から世辞まで山盛にしなければ承知しなかった。岸本はこの人達の世間話にも聞飽きて、費用のみ要《かか》る外国の旅のことを思いながら食った。食堂から自分の部屋へ戻って行って見ると、つくづく岸本には異人という心が浮んだ。そうそう長く留るべき場所では無し、又長く続けて行くべき境涯でも無いという気がして来た。自分のことをよく心配していてくれたビヨンクウルの老婦人のような温情のある人は亡《な》くなった上に、時局は一層彼の旅を不自由にした。折角懇意になった仏蘭西人で国難のために夢中になっていないものは無かった。学問も、芸術も、殆《ほとん》ど一切休止の姿だ。彼の周囲には、戦争あるのみだ。
 岸本は異郷の土となるつもりで国を出て来た自分の決心が到底行われ難いことを感じて来た。国には彼を待つ頼りの無い子供等があった。彼は、あだかも冷く厳《おごそ》かな運命の前に首を垂《た》れる人のようにして、こうした一生の岐路《わかれみち》に立たせられるよりは寧《むし》ろ与えられた生命《いのち》を返したいとまで嘆いた。彼は亡き父の前に自分を持って行って、「この生命を取って下さい」とも祈った。

        百二十一

「旅人よ、足をとどめよ。お前は何をそんなに急ぐのだ。何処《どこ》へ行くのだ。何故お前の眼はそんなに光るのだ。何故お前はそんなに物を捜してばかりいるのだ。何故お前はそんなに齷齪《あくせく》として歩いているのだ。
 ――旅人よ。お前はこの国を見ようとしてあの星の光る東の方から遙々《はるばる》とやって来たのか。この国にあるものもお前の心を満すには足りないのか。
 ――旅人よ。夕方が来た。何をお前は涙ぐむのだ。お前の穿《は》き慣れない靴が重いのか。この夕方が重いのか。それとも明日の夕方が苦しいのか。
 ――旅人よ。何故お前は小鳥のように震えているのだ。仮令《たとえ》お前の生命《いのち》が長い長い恐怖の連続であろうとも、何故もっと無邪気な心を有《も》たないのだ。
 ――旅人よ。足をとどめよ。この国の羅馬《ローマ》旧教の季節が来ている。お前も来て、主の受難を記念する夕方に憩《いこ》え。お前に食わせる麺麭《パン》、お前に飲ませる水ぐらいはここにも有ろうではないか……」
 書斎でもあり寝室でもある部屋の机に対《むか》って、岸本は自分の書いたものを取出した。窓側《まどぎわ》の壁に掛けてある仏蘭西の暦は三月の来たことを語っていた。その窓側で彼は書きつけた自分の旅情を読み返して見た。
 部屋を見廻すと、まだまだ彼は長い冬籠《ふゆごも》りの有様から抜け切ることが出来なかった。町の空も暗かった。しかし、正月、二月あたりはもっと暗い日の続くことが多かった。彼は恐ろしい低気圧が、十五日も続いた低気圧が、自分の心の内部《なか》を通過ぎて行ったことを感じた。冷い感じのする硝子《ガラス》を通して望まるる町の空は暗いとは言っても早や何となく春めいた紅味《あかみ》を含み、遠い建築物《たてもの》の屋根や煙突も霞《かす》んで見え、戦時の冬らしく凍り果てた彼の旅の窓へも、漸《ようや》く底温かい春が近づいたかと思わせた。
 久し振りで聞く軍隊の相図の笛が岸本の耳についた。喇叭卒《らっぱそつ》を先に立てた仏蘭西歩兵の一隊がゴブランの市場の方角から進んで来た。そして町の片端で足を休めて行こうとするところであった。窓から望むと、冬枯のプラタアヌの並木の下あたりは寄せ集めた銃や肩から卸した背嚢《はいのう》で埋められた。騎馬から下りて休息する将校等も見えた。眼の下に動く兵卒等の軍帽を包んだ紺の布《きれ》や、防寒用の新服はいずれも酷《ひど》く汚れて、風雪の労苦が思いやられた。
「生きたいと思わないものは無い――」
 と彼は自分に言って見た。
 町々の婦女《おんな》は出て兵卒等をねぎらおうとした。葡萄酒《ぶどうしゅ》を奮発する珈琲店《コーヒーてん》のかみさんがあれば、パン菓子を皿に盛って行って勧める菓子屋のかみさんもあった。岸本も部屋にじっとしていられなかった。彼は急いで帽子を冠《かぶ》り、階段を降りて、この人達の中に混ろうと思った。夫や兄弟や従兄弟《いとこ》のことを心配顔な留守居の婦女《おんな》、子供、それから老人なぞが休息する兵卒等の間を分けて、右にも左にも歩いていた。岸本は自分の隠袖《かくし》の中から巻煙草《まきたばこ》の袋を取出し、それを側に居る五六人の兵卒にすすめて見た。

        百二十二

 一日は一日より岸本の旅の心は濃くなって来た。暇さえあれば岸本は自分の下宿を出て、戦時の催しらしい管絃楽《かんげんがく》の合奏を聴《き》くためにソルボンヌの大講堂に上り、巴里の最も好い宗教楽があると言われるソルボンヌの古い礼拝《らいはい》堂へも行って腰掛けた。彼はまた人と連立って、サン・ゼルマンの長い並木街をセエヌの河岸《かし》まで歩きに行って見た。ルウヴル宮殿の古い建物《たてもの》やチュレリイ公園の石垣が対岸に見える河の畔《ほとり》まで行くと、水の流れも何となく霞《かす》んで見え、岸に立つマロニエの並木も芽ぐんで来ていた。そういう日には殊《こと》に春待つ心が彼の胸に浮んだ。
 二年近くかかって育てた新しい言葉も延びて行く時であった。彼は旅人らしく自分の周囲を見廻すと、来《きた》るべき時代のためにせっせと準備しているようなもののあるのに気がついた。彼の眼には、どう見てもそれは芽だ。間断なく怠りなく支度しているような芽だ。それは可成《かなり》もう長いこと萌《きざ》しに萌して来たものであるとも言える。けれども何人《なんぴと》の骨髄にまでも浸《し》み渡るような欧羅巴《ヨーロッパ》の寒い戦争が来て、一層その発芽力を刺激されたようにも見える。そうしたものが彼の周囲にあった。そしてその芽の一つとして、曾《かつ》て一度は頽廃《たいはい》したものの再生でないものは無かった。
 この観望は岸本が旅の心を一層深くさせた。彼の周囲には死んだジャン・ダアクすら、もう一度仏蘭西人の胸に活《い》きかえりつつあった。彼は淫祠《いんし》にも等しいような古いカソリックの寺院を多く見た眼でリモオジュのサン・テチエンヌ寺を見、あのサン・テチエンヌ寺を見た眼を移して巴里のフランソア・ザビエー寺などを見、更に眼を転じて「十字架の道」へと志す幾多の新人のあることに想い到ると、そうした再生の芽を古い古い羅馬旧教の空気の中にすら見つけることが出来るように思った。
 その芽が岸本にささやいた。
「お前も支度したら可《い》いではないか。澱《よど》み果てた生活の底から身を起して来たというお前自身をそのまま新しいものに更《か》えたら可いではないか。お前の倦怠《けんたい》をも、お前の疲労をも――出来ることならお前の胸の底に隠し有《も》つ苦悩そのものまでも」

        百二十三

 町に出て往来《ゆきき》の人々に混りたいと思うような午後が来た。岸本は下宿を出ようとして、丁度パスツウルに近い画室の方から訪《たず》ねて来る牧野に逢《あ》った。
 岡も、小竹も相前後して既に英吉利《イギリス》の方から巴里へ戻って来ている頃であった。牧野は岡の意中の人が国の方で他《わき》へ嫁《かたづ》いたという消息を持って来た。戦争前、美術学校の助教授が巴里を発《た》つという際にも、その他の時にも、まだ岡は一縷《いちる》の望みをそれらの人達の帰国に繋《つな》いでいた。最早岡の意中の人も行っ
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