部屋の窓へ行って見た。暗い巴里の冬が最早その並木街へやって来ていた。往来《ゆきき》の人も稀《まれ》であった。向うの産科病院の門、珈琲店《コーヒーてん》、それから柳博士や千村教授がしばらく泊っていた旅館の窓、何もかも眼に浸《し》みた。

        百七

 隣室もひっそりとしていた。控訴院附の弁護士でその部屋を借りていた少壮な仏蘭西人は召集されて行ったぎり宿の主婦のところへ音も沙汰《さた》も無いということであった。「可哀そうに、あの弁護士もひょっとすると戦死したかも知れません」と主婦は岸本に話し聞かせた。隣室にはあのノルマンディあたりの生れの人にでも見るような仏蘭西人が残して置いて行った蔵書や雑誌の類がそっくりそのままにしてあった。岸本はその空虚な部屋を覗《のぞ》いて見て、悽惨《せいさん》な戦争の記事を読むにも勝《まさ》る恐るべき冷たさを感じた。その冷たさが壁|一重《ひとえ》隔てた自分の部屋の極く近くにあることを感じた。岸本は屋外《そと》へ出て日頃よく行く店へ煙草《たばこ》を買いに寄って見た。そこの亭主はまた片脚《かたあし》失うほどの負傷をして今は戦地の病院の方に居るとのことで有った。
 午後に牧野が訪ねて来た。リモオジュからリオンの方へ分れて行った美術家の連中が既に巴里へ帰っていることを岸本は牧野の話で知った。ずっと巴里に残っていた一二の画家もあったことを知った。
「牧野君、町を見に行こうじゃ有りませんか。こんなに巴里が寂しくなってるとは思いませんでしたね」
「リオンの連中が帰って来た時はもっと寂しかったそうです」
 岸本は牧野と二人で話し話し宿を出た。サン・ミッセルの通りまで行って、例の「シモンヌの家」の人達を見に一寸《ちょっと》立寄った。そこの亭主は白耳義《ベルジック》方面の戦場へ向ったぎり行方《ゆくえ》不明に成ってしまった。
 非常な恐怖が過ぎて行った後のような寂しさは町々を支配していた。岸本は牧野と並んで長いサン・ミッセルの通りをセエヌ河の方へと歩いて行って見た。外国人は去り、多くの市民も避難し、僅《わずか》の老人と婦人と子供とだけが日頃人通りの多いあの並木街を歩いていた。牧野はずっと巴里に残っていたという画家の話を歩き歩き岸本にして聞かせた。一時はこの都も独逸《ドイツ》軍の包囲を覚悟し、避難者のためにあらゆる汽車を開放したという話をした。麺麭《パン》なぞを乞《こ》うものには誰にでもただでくれたという話をした。多くの市民は乗るものもなく、皆徒歩で立退《たちの》いたという話をした。それらの人達が夜の街路《まち》に続いて、明方まで絶えなかったという話をした。
 シャトレエの広小路まで歩いた。そこまで行くと、いくらか巴里らしい人の往来《ゆきき》が見られた。二人はセエヌの河岸についてサン・ルイの中の島へと橋を渡り、そこから古いノオトル・ダムの寺院の裏手が望まれるところへ出た。石垣の下の方には並んで釣《つり》をしている黒い人の影も見えた。セエヌの水も寂しそうに流れていた。
「冷たい石の建築物《たてもの》に、黒い冬の木――いかにも巴里の冬らしい感じですね」
 と牧野は画家らしい観察を語った。岸本はこの人と連立って枯々とした並木の間を影のように動いた。石造の歩道を踏んで行く自分等の靴音の耳につくのを聞きながら、今は巴里にある極く僅《わずか》の日本人の中の二人であることをも感じた。

        百八

「早く英吉利《イギリス》を切揚げたまえ。この沈痛な巴里を味《あじわ》いたまえ」
 こう岸本は高瀬へ宛てて手紙の端に書いて送った。倫敦《ロンドン》にある高瀬からその後の様子を尋ねてよこした時の返事として。
 この周囲の寂しさにも関《かかわ》らず、岸本はもう一度自分の部屋の机に対《むか》って見た。灰燼《かいじん》の巷《ちまた》と化し去ることを免れた旅窓の外に見える町々も、変らずにある部屋の内の道具も、もう一度彼を迎えてくれるかのように見えた。ピアノを復習《さら》う音が復《ま》た聞えて来た。例の無心な指先から流れて来るようなその幽《かす》かなメロディばかりでなく、床を歩き廻る小娘らしい靴音までが階上から聞えて来ていた。
 心の悲哀《かなしみ》を忘れるために学び始めた新しい言葉の芽も一息に延びて来た。読もう読もうとしても読めずに蔵《しま》って置いた書籍を取出して見ると、何時の間にか意味が釈《と》れるように成っていた時は、彼は青年時代の昔と同じような嬉しさを感じた。大きな蔵の中にでも納ってある物のような気がしていたラテン民族の学芸の世界は遽《にわ》かに彼の前に展《ひら》けて来た。あそこに詩の精神がある、ここに歴史の精神がある、と言うことが出来るように成った。何等の先入主に成ったものをも有《も》たなかった彼に取っては、殆ど応接するに暇《いとま》の無いようなこの新天地の眺望《ちょうぼう》ほど旅の不自由を忘れさせるものはなかった。
 異郷の生活を続けようとする心を移して、岸本は遠く国の方にある自分の身内のもののことを思いやった。足掛二年の月日は遠く離れている親戚《しんせき》の境遇をも変えた。姪の愛子は夫に随《したが》って樺太《からふと》の方に動いていた。根岸の嫂《あによめ》は台湾の方へ出掛けて行って民助兄と一緒に暮していた。恩人の家の弘が結婚したことも、鈴木の兄が郷里の方で病死したことをも、岸本は旅にいる間に知った。
 何となく遠く成って来た国の方の消息の中で、東京の留守宅の様子を岸本のところへ精《くわ》しく知せてよこすのは節子であった。彼女からの便りで、岸本は義雄兄の家族に托《たく》して置いて来た二人の子供の成長して行くさまを思いやることが出来た。「あなたの方の身体は鉄《かね》ですか」と丈夫な子供等に向って言暮しているという嫂の言葉、黐竿《もちざお》を手にして蜻蛉釣《とんぼつ》りに余念がないという泉太や繁の遊び廻っている様子――耳に聞き眼に見るようにそれらの光景を思いやることの出来るのも、彼女からよこしてくれる手紙であった。
「あの事さえ書いてないと、節ちゃんの手紙はほんとに好《い》いんだがなあ――」
 と岸本は独りでよくそれを言って見た。節子はまた以前の浅草の住居の方から移し植えた萩《はぎ》の花のさかりであるということなどに事寄せて、岸本が見たことの無い子供の誕生日の記念のために書いてよこすことを忘れなかった。

        百九

 あれほど便りをするのに碌々《ろくろく》返事もくれない叔父さんの心は今になって自分に解った、と節子は力の籠《こも》った調子で書いた手紙を送ってよこした。長い冬籠《ふゆごも》りの近づいたことを思わせるような日が来ていた。ルュキサンブウルの公園にある噴水池も凍りつめるほどの寒さが来ていた。部屋の煖炉《だんろ》には火が焚《た》いてあった。岸本はその側へ行って、節子から来た手紙を繰返し読んで見た。叔父さんはこの自分を忘れようとしているのであろうと彼女は書いてよこした。そんなら、それでいい、叔父さんがそのつもりなら自分は最早《もう》叔父さんに宛てて手紙を書くまいと思うと書いてよこした。あれほど自分が送った手紙も叔父さんの心を動かすには足りなかったのかと書いてよこした。叔父さんのことを思い、自分の子供のことを思う度《たび》に、枕の濡《ぬ》れない晩は無いと書いてよこした。そんなに叔父さんは沈黙を守っていて、この自分を可哀そうだと思ってはくれないのかと書いてよこした。
 名状しがたい心持が岸本の胸中を往来した。日頃一種の侮蔑《ぶべつ》をもって女性に対して来たほど多くの失望に失望を重ねた自分の心持がそこへ引出された。姪《めい》を憐《あわれ》み、姪を恐れることはあっても、決して彼女の想像するようなものでは無かった自分の心持がそこへ引出された。節子のことを考える度に、きまりで思出すのは義雄兄の言葉であって、「お前はもうこの事を忘れてしまえ」と言ってくれたあの兄に対して来た自分の心持もそこへ引出された。この岸本の堅く閉《とざ》した心の扉《とびら》の外に来て自分を呼びつづけていたような姪の最後の声を聞く気がした。根気も力も尽き果てたかと思われるようにその扉を叩《たた》いた最後の精一ぱいの音を聞きつけたような気がした。
 煖炉には赤々とした火がさかんに燃えていた。倹約な巴里の家庭では何処《どこ》でも冬季に使用する亀《かめ》の子《こ》形の小さな炭団《たどん》が石炭と一緒に混ぜて焚いてあった。岸本は嘆息して、姪から来た手紙も、覚束《おぼつか》ない羅馬《ローマ》文字で彼女自身に書いてよこした封筒も、共に煖炉の中へ投入れた。見る間に紙は燃え上って、節子の文字は影も形もなくなった。岸本は喪心した人のように煖炉の前に立って、投入れた紙片《かみきれ》が灰に成るのを眺めていた。

        百十

 それぎり節子の消息は絶えた、薄暗く、陰気くさく、ろくろく日光も見られず、極く日の短い時分には午後の三時半頃には最早《もう》暮れかけて、一昼夜の大部分はあだかも夜であるかのような巴里《パリ》の冬が復《ま》た旅の窓へやって来た。到頭岸本は戦時の淋《さび》しい降誕祭を迎え、子供等に別れてから二度目の年を異郷の客舎で越した。
 黄なミモザの花や小さな水仙のようなナアシスに僅《わずか》に春待つ心を慰める翌年の二月半のことであった。一旦消息の絶えた節子からの便《たよ》りが思いがけなく岸本の許《もと》へ届いた。最早手紙は書くまいと思ったが、叔父さんから送ってくれた旅の記念の絵葉書を見るにつけても、つい禁を破ってこの便りをする気に成った、と彼女は書いてよこした。その手紙にはとかく彼女が煩《わずら》い勝である事や、浅草時代の自分は何処《どこ》かへ行ってしまったかと思われるほど弱くなったことや、両手にひろがった水虫のようなものは未《ま》だ癒《なお》らなくて難儀をしているということばかりでなく、母親に対して気まずい思いをしていることが今までに無い調子で書いてあった。読みかけて、岸本は眉《まゆ》をひそめずにはいられなかった。何故というに、節子の手紙を通して聞くあの嫂《あによめ》の言葉は、兄一人だけしか知らない筈《はず》の自分の秘密を感づいているとしか思われなかったから。その時岸本はそう思った。何故、あの義雄兄は嫂にまで隠そうとするような方針を取ってくれたろう。何故、節子はまた母親だけに身の恥を打明けて詫《わ》びるという心を起さなかったろうと。
 節子の手紙で見ると、どうかすると彼女は彼女の幼い弟達の前で、母から「姉さん」という言葉で呼ばれずに「お婆さん」と呼ばれることがあるとしてある。煩い勝ちで台所の手伝いも思うように出来ないという彼女は、この皮肉を浴びる時の辛《つら》さを書いてよこした。そればかりでは無い、彼女の母の言葉としてこんなことまで書いてよこした。「お婆さんでは、なんぼなんでも可哀そうだ――そうだ叔母《おば》さんが可《い》い――この人は姉さんじゃなくて、岸本の叔母さんだよ――」母の言うことはこうした調子だと書いてよこした。
「岸本の叔母さん」
 当てこすりで無くてこれが何であろう、と岸本はその言葉を繰返して見た。彼は節子から来た手紙をよく読んで見るにも堪《た》えない程、今までにない彼女の調子にひどく胸を打たれた。彼女は病的と思われるまで傷《いた》ましい調子で書いてよこした。気でも狂いそうな調子で書いてよこした。その時ほど、岸本は自分故に苦しんで行く姪のすがたをまざまざと見せつけられたことは無かった。

        百十一

 言いあらわし難い恐怖《おそれ》と哀憐《あわれみ》とは、節子の手紙を引裂いて焼捨ててしまった後まで岸本の胸に残った。ずっと以前に岸本が信濃《しなの》の山の上に田舎教師《いなかきょうし》をしながら籠《こも》り暮した頃、城址《しろあと》の方にある学校へ行こうとして浅い谷間《たにあい》を通過ぎたことがある。ある神社の裏手にあたるその浅い谷間の水の流のところで、一羽の小鳥を見つけたことがある。飛去りもせずにいる小鳥を捉《つか
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