にまで下った末にデカダンスの底から清浄な智慧《ちえ》の眼を見開いた名高い仏蘭西の詩人の生涯を想像して見た。

        百四

 合唱の声が止《や》むと、大きな風琴《オルガン》の響のみが天井の高い石の建築物《たてもの》の内部《なか》に溢《あふ》れた。やがて白い法服を着けた年とった僧侶が多勢の信徒を見下すような位置にある高い説教台の上に立った。戦時のツッサンの祭に際会して死者を弔うような説教がそれから可成《かなり》長く続いた。岸本の心は慷慨《こうがい》な口調を帯びた僧侶の説教の方へ行き、王冠の形した古めかしい説教台の方へ行き、その説教台と相対した位置にある耶蘇《やそ》の架像の方へ行った。しかし彼は何時の間にかそんなことを忘れてしまった。彼は、赤い法服を着け金色の十字架を胸のあたりに掛けた二三の老僧や黒い法服を着けた十幾人かの中年の僧侶が祭壇の前に並んでいることも忘れ、白い冠《かぶ》りものを冠った尼僧が教え子らしい女生徒を引連れて聴衆の中に混っていることも忘れ、つい側に腰掛けた黒ずくめの風俗の婦人達が説教に耳を傾けていることも忘れ、三本ずつ並んでとぼる長い蝋燭《ろうそく》の火が祭壇のあたりをかがやかしていることも忘れてしまった。唯《ただ》彼は石の柱の側に黙然《もくねん》と腰掛けて、仮令《たとえ》僅《わずか》の間なりとも「永遠」というものに対《むか》い合っているような旅人らしい心持に帰って行った。
 傾きかけた秋の日は高い岡の上に立つ寺院の窓を通して堂内の石の柱に映った。窓という窓の彩硝子は輝いた。あるいは十字架を花の環《わ》の形に、あるいは菱形《ひしがた》に、あるいは円形に意匠したその窓々の尖端《せんたん》、あるいは緑と紅との色の中心に描かれてある聖者の立像、それらが皆夕日に輝いた。こうしたゴシック風の古い建築物の内部にあっては、その中に置かれた羅馬旧教風な金色に錆《さび》た装飾もさ程目立っては見えなかった。あらゆる石の重みと、線と、組立とが高い天井の下に集められて、一つの大きな諧調を成していた。日は長い儀式の中で次第に暮れて行った。窓々に映る夕日も消えて行った。あだかも深い林の中に消えて行く光のように。そこには眼《ま》ばたきするように輝いて来た堂内の燈火《ともしび》と、時々響き渡る重い入口の扉《ドア》の音と、厳粛《おごそか》に沈んで行く黄昏時《たそがれどき》の暗さとが残った。
 岸本がこの寺院《おてら》を出て、ポン・ナフの石橋の畔《たもと》へかかった頃は、まだ空はいくらか明るかった。ヴィエンヌ河の両岸にあるものは皆水に映っていた。彼は牧野と二人でのリモオジュの滞在も最早《もう》僅に成って来たことを思った。二度とこうした仏蘭西の田舎《いなか》に来て好きな寺院に腰掛ける時があろうとも思われなかった。バビロン新道の宿を指《さ》して歩いて行く途《みち》すがらも、彼はこの田舎の都会にある他の寺院にサン・テチエンヌを思い比べて見た。澱《よど》み沈んだ羅馬旧教の空気の中にあって、どれ程の「人」の努力があの古いサン・テチエンヌの寺院を活《い》かしているかを想像して見た。

        百五

 リモオジュには岸本は葡萄《ぶどう》の熟するからやがて酒に醸《かも》されるまで居た。マルヌの戦いも敵軍の総退却で終り、巴里《パリ》包囲の危険も去り、この町へ避難して来た人達も最早大抵帰って行った。戦時の不自由は田舎に居るも巴里に行くも牧野や岸本に取って殆《ほとん》ど変りが無かった。宿の主婦《かみさん》は姪《めい》を連れて復《ま》た巴里の方へ帰ろうとしていた。牧野も同時にこの町を引揚げようとしていた。
「僕は一歩《ひとあし》先に出ます。ここまで来た序《ついで》にボルドオの方を廻って見て来ます。君等は巴里の方で待っていてくれたまえ」
 この話を岸本は牧野にした。
 早や毎朝のように霜が来た。暖炉には薪《まき》を焚《た》くように成った。彼はこの田舎で刺激された心をもって、もう一度巴里の空気の中へ行こうとしていた。旅の序《ついで》に、日頃《ひごろ》想像する南方の仏蘭西をも見るという楽みを胸に描いていた。そこでボルドオを指して出掛けた。開戦当時のような混雑には遭遇しないまでも、改札口のところに立つ警戒の兵士に警察で裏書して貰《もら》って来た戦時の通行券を示すような手数は要《かか》った。
 リモオジュの停車場《ステーション》まで送って来た牧野や少年のエドワアルと手を分ってからは、彼は独《ひと》りの旅となった。やがて彼の乗った汽車はリモオジュの町はずれを通過ぎた。二月|半《なかば》の滞在は短かったとは言え、彼は可成楽しい気の置けない時をそこで送ったことを思い、欧羅巴《ヨーロッパ》へ来てから以来《このかた》ほんとうに溜息《ためいき》らしい溜息の吐《つ》けたのもそこであることを思い、よく行って草を藉《し》いた牧場にも、赤々とした屋根や建築物《たてもの》の重なり合った対岸の町々にも、リモオジュ全体を支配するようなサン・テチエンヌの高い寺院の塔にも、別離《わかれ》を告げて行こうとした。汽車の窓からヴィエンヌ河も見えなくなる頃は、秋雨《あきさめ》も歇《や》んだ。
 岸本は全く見知らぬ仏蘭西人と三等室に膝《ひざ》を突合せて気味悪くも思わないまでに旅慣れて来たことを感じながら、汽車の窓に近く身を寄せて秋のまさに過ぎ去ろうとしている仏国中部の田舎を見て行った。彼は雨あがりの後の黄ばんだ雑木林を眺《なが》めたり、丘つづきの傾斜に白樺《しらかば》、樫《かし》、栗《くり》などの立木を数えたりして乗って行った。時としては線路に添うた石垣の上に野生の萩《はぎ》かとも見まがう黄な灌木《かんぼく》の葉の落ちこぼれているのを見つけて、国の方の東北の汽車旅、殊《こと》に白河あたりを思出した。その葉の色づいたのはアカシヤの若木であった。枯草を満載した軍用の貨物列車、戦地の方の兵士等が飲料に宛《あ》てるらしい葡萄酒の樽《たる》を積んだ貨物列車も、幾台となく擦違《すれちが》って窓の外を通った。
 オート・ヴィエンヌから隣州のドルドオニュへ越え、コキイユという小さな田舎らしい停車場を過ぎて、南へ行く旅客はペリギュウで乗換えた。ポオプイエの附近を乗って行く頃から、車窓の外に見える地味も変り、人家も多くなり、青々とした野菜畠すら望まれるように成ったばかりでなく、車中の客の風俗からして変った。それらの人達の話し合う言葉の訛《なまり》や調子を聞いたばかりでも岸本は次第に西南の仏蘭西に入って行く思いをした。ジロンド州の地方を通過ぎて、暗くなってガロンヌ河を渡った。平時ならば六七時間で来られそうな路程《みちのり》に十一時間も要《かか》った。彼は汽車の窓を通して暗い空に映る無数の燈火《ともしび》を望んだ。そこが仏蘭西政府と共に日本の大使館までも移って来ているボルドオであった。
 これ程楽みにしてやって来れば、それだけでも沢山だ、とは岸本が自分で自分に言って見たことであった。彼には南方の仏蘭西を想像して来た楽みがあり、そこまで動いたという楽みがあった――仮令《たとえ》ボルドオで彼を待受けていてくれたものは二日とも降り続いた雨ではあったが。ボルドオのサン・ジャン停車場前の旅館では、何がなしに彼は国の方へ宛てて旅の便《たよ》りを書送りたいと思う心が動いた。やや単調ではあったが汽車の窓から望んで来たボルドオ附近の平野、見渡すかぎり連り続いた葡萄畑、それらの眺望《ちょうぼう》はまだ彼の眼にあった。幾度《いくたび》となく彼は旅館の一室で暖炉の前に紙を展《ひろ》げて見たり、部屋の内をあちこちと歩いて見たりして、とかく思うように物書くことも出来ないのを残念に思った。部屋の壁には小さな海の画の模写らしい額が掛っていた。それを見てさえ彼の胸には久しぶりで海に近く来た旅の心持を浮べた。
 深い秋雨に濡《ぬ》れながら岸本は町を出歩いた。そこにある大使館を訪《たず》ねて巴里の方の様子を聞くために。あるいはサン・タンドレの寺院を見、あるいはボルドオの美術館なぞを訪ねるために。時とすると新たに戦地の方へ向おうとする歩兵の群が彼の行く道を塞《ふさ》いだ。灰色がかった青地の新服を着けた兵士等の胸には黄や白の菊の花が挿《さ》され、銃の筒先にまでそれが翳《かざ》されてあった。夫を、兄弟を、あるいは情人を送ろうとして、熱狂した婦人がその列に加わり、中には兵士の腕を擁《かか》えて掻口説《かきくど》きながら行くのも有った。
 ガロンヌ河はこの都会の中を流れていた。岸本に取っては縁故の深いあの隅田川《すみだがわ》を一番よく思い出させるものは、リオンで見て来たソオンの谿流《けいりゅう》でもなく、清いセエヌの水でなく、リモオジュを流れるヴィエンヌでなくて、雨に濁ったこのガロンヌの河口であった。そこには岸本の足をとどめさせる河岸《かし》の眺めがあったばかりでなく、どうかすると雨が揚がって、対岸に見える工場の赤屋根には薄く日が映《あた》った。ちぎれた雲の間を通して丁度日本の方で見るような青い空の色を望むことも出来た。つくづく岸本は郷国《くに》を離れて遠く来たことを思った。

        百六

 再び巴里を見るのは何時《いつ》のことかと思って出て来たあの都の方へもう一度帰って行く楽しみを思い、新しい言葉の世界が漸《ようや》く自分の前に展《ひら》けて来た楽しみを思い、ボルドオから岸本は夜汽車で発《た》った。今度帰って見たらどういう冷い風があの都を吹き廻しているだろう、幾人《いくたり》の同胞に逢《あ》えることだろう、と彼は思いやった。窓の外は暗し、車中で眠ろうとしても碌々《ろくろく》眠られなかった。同室の乗客が皆ひどく疲れた頃に汽車の中で夜が明けかかった。
 朝に成って反《かえ》って気の緩《ゆる》んだ岸本はいくらかでも寝て行こうとした。一眠りして眼を覚《さま》すと、その度に彼は巴里が近くなって来たことを感じた。心持の好い朝で、何を眺めても眼が覚めるようであった。次第に巴里の近郊から城塞《じょうさい》の方へ近づいて行った。車窓に映る建築物の趣なぞも何となく変って来た。リモオジュあたりで見て来た地方的なものが堅牢《けんろう》な都会風の意匠となり、二層三層の高さが五層にも六層にもなり、城廓《じょうかく》のように聳《そび》えた建築物と建築物の間には積重ねた煉瓦《れんが》の断面のあらわれたのが高く望まれるように成った。
 朝の八時頃に岸本はドルセエ河岸の停車場に着いた。荷物と一緒に乗った辻馬車《つじばしゃ》の中から彼は右を眺《なが》め左を眺めして行った。ボルドオの公園の方で古池の畔《ほとり》に深い秋を語っていた黄ばんだ柳の葉を眺め、南国的なマグノリアの生々とした濃い緑を眺めて来た眼には、町々は早や全くの冬景色であった。並木も枯々としていた。冷い街路を踏んで行く馬の蹄《ひづめ》の音までが耳についた。彼は思ったよりも寂寞《せきばく》とした巴里に帰って来たことを感じた。
 産科病院の前へ着いて取りあえず岸本は家番《やばん》のかみさんを見舞った。入口の階段に近く住む家番のかみさんは彼を見ると、いきなり部屋から飛んで出て来た。
「岸本さん」
 と言って彼の前に立った家番のかみさんの顔には、籠城《ろうじょう》同様の思いをしてずっと巴里に居た人達の心がありありと読まれた。
 変らずにある下宿を見るのも岸本には嬉しかった。主婦《かみさん》も、主婦の姪もリモオジュから先に着いていて岸本を迎えてくれた。彼は廊下の突当りにある自分の部屋を見に行った。二月半ほど留守にした間に、置捨てて行った荷物でも書籍でも下手《へた》に触《さわ》られないほどの塵埃《ほこり》が溜《たま》っていた。
 主婦の姪は部屋を覗《のぞ》きに来て、
「まあ、何という塵埃でしょう。これでも叔母さんと二人で昨日は一日掃除に掛っていたんですよ」
 と言って笑って、岸本の留守中に届いた国からの小包や新聞や雑誌を食堂の方から運んで来てくれた。その中には長い日数をかけて、よくそれでも失われずに届いたと思うものもあった。岸本は
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