た。
百
ある日、復《ま》た岸本は同じ橋の畔へ出た。黄ばんだプラタアヌの並木の葉は最早毎日のように落ちた。そこは仏蘭西国道の続いて来ているところで、橋に近い石垣の上からはヴィエンヌ河の両岸を望むことも出来、国道の並木の間にサン・テチエンヌ寺の石塔を望むことも出来るような位置にあった。何となく疲れが出て仕事も休もうと思うような日には、岸本の足はよくその橋の畔にある小さな珈琲店へ向いた。彼はそこで温めてくれる一杯の濃い珈琲を味《あじわ》いながら、往来の角に立つ石造りの水道栓《すいどうせん》の柱を眺《なが》め、水瓶《みずがめ》を提《さ》げて集る婦女《おんな》を眺め、その辺に腰掛けて編物する老婆の鄙《ひな》びた風俗を眺めては、独りで時を送るのを楽みにした。白く斑《まだら》に剥《は》げたプラタアヌの太い幹の下あたりには、しきりと落葉を集め廻って遊んでいる子供の群も見えた。その中には拾い集めた落葉を岸本の腰掛ているところへ持って来て見せるほど慣れた二三の小娘もあった。近くの菓子屋で子供の悦《よろこ》びそうな菓子を一袋|奢《おご》ったのが始まりで、その小娘達は岸本を見掛ける度に側《そば》へ来るように成った。
「皆好い児だね。リモオジュのお土産《みやげ》にその葉を小父《おじ》さんが貰《もら》って行きましょうか」
と岸本が言うと、小娘等は嬉《うれ》しげに並木の下の方へ飛んで行って、幾枚となく落葉を拾っては復た彼の側へ来た。小娘等が持って来たプラタアヌの葉の中には八つ手ほどの大きさのもあった。
「こんなに大きいのは貰っても困る。一番小さなやつを拾って来て下さい」
と復た岸本が言うと、子供等は馳出《かけだ》して行って、「もう沢山、もう沢山」と彼の方で言っても聞入れないほど沢山なリモオジュ土産を彼の前にあるテエブルの上に置いて見せた。その小娘等に誘われて、こわごわ彼の方へ近づいて来たまだ馴《な》れない一人の女の児もあった。
「もっと日本人の傍《そば》へお出《いで》なさいよ」
と他の小娘達に手を引かれて、神経質らしいその女の児も彼の前までやって来たが、急に朋輩《ほうばい》の手を振りほどいて一歩|引退《ひきさが》った。
「オオ、可恐《こわ》い」
とその女の児は気味悪そうに岸本の方を見て言った。
「お出《いで》。丁度あなた方と同い年ぐらいな子供を小父さんも国の方に残して置いて来ました。この小父さんはそんなに可恐いものでは有りませんよ」
こう岸本は言って、それから三人の小娘に歌を所望した。パトアと称《とな》える方言で出来た小唄のあることを彼は宿の主婦からも聞き、少年のエドワアルからも聞いていた。この岸本の所望は歌好きな小娘達を悦ばせた。遠く泉太や繁から離れて来ている旅の空で、無邪気な子供の口唇《くちびる》から仏蘭西の田舎の俗謡を聞いた時は、思わず岸本は涙が迫った。
百一
うちしめった秋らしい空気の中を岸本はバビロン新道《しんみち》の方へ引返して行った。丁度宿の前あたりで野外の画作を終って帰って来る牧野と一緒に成った。少年のエドワアルも牧野の代りに油絵具の箱なぞを肩に掛け、町はずれの国道の方から連立って帰って来た。
「復《ま》た好い画が一枚出来ましたよ」
エドワアルはそれを岸本に言って見せ、入口の庭にある葡萄棚の下あたりを歩いている主婦《かみさん》にも言って見せた。
「リモオジュのお土産が沢山お出来に成りますね。ほんとに牧野さんのはずんずん描いておしまいなさる」
と主婦が庭に居て言うと、主婦の姉さんも台所の窓から顔を出して年老いた婦人らしく皆の話すところを聞いていた。その背後《うしろ》から顔を見せる主婦の姪もあった。
岸本は牧野と一緒に入口の石階《いしだん》を上って田舎家《いなかや》らしい楼梯《はしごだん》の欄《てすり》に添いながら二階の方へ行った。リモオジュの秋は牧野に取っても収穫の多かった時で、引継ぎ引継ぎ出来た風景や静物の画のまだよく乾《かわ》かないのが二階の部屋の壁を一面に占領したくらいであった。岸本は牧野の部屋に行って見る度に、先《ま》ずその油絵具の乾く強い香気《におい》に打たれた。牧野の旅の骨の折れるらしいことは岡に変らなかったが、気鋭で綿密なこの画家は岡が考え苦んで思わしい製作も出来ずにいる間に、どしどし画筆を着けながら疑問を解いて行くという風であった。旅に来て岸本が懇意に成った画家の中でも、岡と牧野とはそれほど気質を異にしていた。東京の方にある中野の友人の噂《うわさ》をしたり、倫敦《ロンドン》へ戦乱を避けて行った高瀬や岡や小竹の噂をしたり、時には夜遅くまで芸術上の談話に耽《ふけ》ったりして、田舎へ来てから岸本が唯《ただ》一人の親しい話相手であり、慰藉《いしゃ》と刺激とを与えてくれたのもこの牧野であった。
野外の製作に疲れたらしい牧野が靴を脱ぐところを見て、岸本は自分の借りている部屋の方へ行った。橋の畔から帰りがけに聞いて来たヴィエンヌ河の水声はまだ彼の耳の底にあった。彼は巴里の狭苦しい下宿に身を置いたよりも、その田舎家の二階の部屋の方に反《かえ》って欧羅巴の旅らしい心持をしみじみと味うことが出来た。彼は親しみのある宿屋の燈火《ともしび》の前に漸くのことで自分を見つけた旅人のような気もしていた。飾りとても無い部屋で、唯一つある窓のところへ行けば朝晩の露に濡《ぬ》れる葡萄の葉が見られ、寝台の置いてある部屋の隅《すみ》へ行けば枕頭《まくらもと》に掛る黒い木製の十字架が見られ、暖炉の前に行けば幼い基督《キリスト》を抱いた聖母の画像が羅馬《ローマ》旧教の国らしく壁の上を飾っているぐらいに過ぎなかった。しかし彼はその部屋に居る心を移して、あの澱《よど》み果てた生活から身を起して来た東京浅草の以前の書斎の方へ直《す》ぐに自分を持って行って考えることも出来た。あの冷い壁を見つめたぎり、身動きすることも、家のものと口を利《き》くことも、二階から降りることすらも厭《いと》わしく思うように成った七年の生活の終りの方へ。あの光と、熱と、夢のない眠より外に願わしいことも無くなってしまったような懐疑《うたがい》の底の方へ。あの深夜に独り床上に坐して苦痛を苦痛と感ずる時こそ麻痺《まひ》して自ら知らざる状態にあるよりはより多く生くる時であると考えたような自分の身のどんづまりの方へ。あの「生の氷」に譬《たと》えて見た際涯《はてし》の無い寂寞《せきばく》の世界の方へ。あの極度の疲労の方へ。あの眼の眩《くら》むような生きながらの地獄の方へ。あの不幸な姪と一緒に堕《お》ちて行った畜生の道の方へ――
不思議な幻覚が来た。その幻覚は仏蘭西の田舎家に見る部屋の壁を通して、夢のような世界の存在を岸本の心に暗示した。曾《かつ》ては彼が記憶に上るばかりでなく、彼の全身にまで上った多くの悲痛、厭悪《えんお》、畏怖《いふ》、艱難《かんなん》なる労苦、及び戦慄《せんりつ》――それらのものが皆燃えて、あだかも一面の焔《ほのお》のように眼前《めのまえ》の壁の面を流れて来たかと疑わせた。
百二
寺院《おてら》の鐘の音《ね》が響き渡った。ツッサン(死者の祭)の日の来たことを知らせるその鐘の音は樹木の多い町はずれの空を通して、静な煙の立登る赤瓦の屋根の間へも伝わり、黄葉の萎《しお》れ落ちた畠《はたけ》へも伝わって来た。バビロン新道の宿でもその日は鉢植《はちうえ》の菊などを用意し、主婦《かみさん》や少年のエドワアルが墓参りのために近くにある村の方へ出掛けようとしていた。
岸本がビヨンクウルの老婦人の亡《な》くなったことを聞いたのは、この死者の祭に先だつ数日前であった。今はヴェルサイユの兵営に自転車隊附として働いているあの書記の留守宅から出た通知状は巴里の下宿の方を廻って岸本の手許《てもと》に届いた。それにはあの老婦人の遺骸《いがい》が巴里のペエル・ラセエズの墓地に葬られるということが認《したた》めてあり、子息《むすこ》さんの書記を始め親戚一同の名前がその下の方に精《くわ》しい親戚関係と共に列《なら》べ記してあった。例《たと》えば、亡き人の姪のだれそれ、亡き人の義理ある兄弟のなにがしという風に。あの老婦人が大きな戦争の空気の中で病み倒れて行ったということは一層その死を痛ましくした。リモオジュの客舎で聞く寺院の鐘が特別の響を岸本の耳に伝えたのもそのためであった。
岸本は仏蘭西へ来て最初に自分を迎えてくれたのがあの老婦人であったことを思出した。異郷にある旅人として、自分のことを一番多く考えていてくれたのもあの老婦人であったことを思出した。王朝時代の昔を忘れかねていたようなあの仏蘭西の婦人が心の中心を失った結果として東洋諸国に対する夢のような憧憬《どうけい》を抱いたのか、どうか、その辺までは彼にも言うことが出来なかったが、とにかく趣味性の発達した、生れついて女らしい徳のある、惜しい人であったことを思出した。全く仏蘭西の言葉も知らずに旅に上って来た彼が異邦人としての沈黙から紛れる方法もなかったような折にも、「あなたは急いで仏蘭西語を学ぶが可《い》い、もしあなたが僅かの書籍《ほん》でも読み得るように成ればそれほどの無聊《ぶりょう》を感じないで済むであろう、自分が書き送るこの数行の言葉でもあなたを慰めることが出来れば仕合せである」などという手紙を寄せて励ましてくれたのもあの書記のお母さんであったことを思い出した。「この悲しい戦争が一日も早く終りを告げることを心から願っている」という意味の言葉で結んだセエブル出の手紙があの老婦人から貰った最後の消息であったことを思い出した。
知らない国の人が亡くなったとも思われないような力落《ちからおと》しを感じながら、岸本は独《ひと》りでサン・テチエンヌの古い寺院の方へ歩いて行った。
百三
丁度死者のための大きな弥撒《メス》が行われているところであった。ヴィエンヌ河の岸に添うて高く岡の上に立つその寺院《おてら》は、ゴシック風の古い石の建築からして岸本の好ましく思うところで、まるで樹《き》と樹の枝を交叉《こうさ》した林の中へでも入って行くような内部の構造まで彼には親しみのあるものと成っていた。よく彼はそこへ腰掛けに来た。その日もあの亡《な》くなった老婦人の生涯を偲《しの》ぼうためばかりでなく、しばらくその静かな建築物《たてもの》の中で自分のたましいを預けて行くことを楽みにした。あだかも樹蔭《こかげ》に身を休めて行こうとする長途の旅人のごとくに。
大理石の水盤で手を濡《ぬ》らし十字架のしるしを胸の上に描きながらその日の儀式に参列しようとする婦人の連《つれ》は幾組となく岸本の側を通った。戦時以来初めての死者の祭のことで、負傷した仏蘭西《フランス》の兵士等まで戦友を弔い顔に集って来ていた。羅馬《ローマ》旧教の寺院には何等《なんら》かの形で必ず表し掲げてある「十字架の道」――その宗教的な絵物語の尽きたところまで右側の廻廊について奥深く進んで行くと、そこに空《あ》いた椅子があった。岸本は高い石の柱の側を選んで、知らない土地の人達と一緒に腰掛けた。古めかしく物錆《ものさ》びた堂の内へ響き渡る少年と大人の合唱の肉声は巨大な風琴《オルガン》の楽音と一緒に成って厳粛《おごそか》に聞えて来ていた。丁度暗い森の樹間《このま》を通して泄《も》れる光のように、聖者の像を描いた高い彩硝子《いろガラス》の窓が紺青《こんじょう》、紫、紅、緑の色にその石の柱のところから明るく透《す》けて見えていた。
祭壇の方から香って来る没薬《もつやく》と乳香の薫《かおり》は何時《いつ》の間にか岸本の心を誘った。彼はこうした羅馬旧教の寺院の空気の中に実際に身を置いて見て、あの人間の醜悪を観《み》つくした末に修道院の方へ歩いて行ったばかりでなく終《しまい》には僧侶に等しい十字架を負う人と成ったという極端な近代人の生涯を想像して見た。彼はまた、あの男色の関係すらあったと言い伝えらるる友人との争闘より牢獄《ろうごく》
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